ファイナンス 2020年12月号 No.661
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れた、少年サンデー連載の人気漫画原作のテレビアニメを1997年に映画化。1998年に邦画の7位入り以来、毎年、邦画のトップ10入り。2000年代に2回、2010年代は最近4年連続で邦画トップ3入り。「名探偵コナン検定」まである。(4)スタジオジブリ人気漫画・ゲームの原作からテレビ化、映画化、シリーズ化が王道だが、そうでない場合もある。ジブリとは「サハラ砂漠に吹く熱風のこと」で、宮崎駿の「日本のアニメーションに旋風を巻き起こそう」という意図からスタジオ名に。「ジブリのように原則的に劇場用の長編アニメーション、しかもオリジナル作品以外は製作しないスタジオというのは、日本のアニメ界では、というより世界的にも極めて特異な存在」だという。「なぜなら、興行の保証がえられない劇場用作品はリスクが大きすぎるだけに、継続して収入がえられるテレビ・アニメーションシリーズを活動の中心に置くのが常識だから」という。初のアニメ雑誌「アニメージュ」の編集をしていた鈴木敏夫は、「こんな名作があるぞと、高畑勲と宮崎駿が東映動画で作った『太陽の王子 ホルスの大冒険』の特集やるんです。」そこで、二人に「出会っちゃうわけです。…宮さんと高畑さんに会って以来、僕の生活は一変しました。」という。そして、「『風の谷のナウシカ』を映画にしよう。」と「アニメージュ」編集長が言い出し、鈴木は「徳間に入ってから、夜は毎日チンチロリン。…僕は一〇〇個ぐらいサイコロ買ってきて、一個を一〇〇回ふって統計をとり、自分の好きな数字が出るさいころを三個選んでました。命かけてましたよ。」「でも、これのおかげで『風の谷のナウシカ』のアニメ化が決まるんです。」という。鈴木は鍛え上げたチンチロリンの腕で、宣伝部長に同僚と二人で一晩に10万円見事に負けて、博報堂に売り込みに行かせたのだ。その「風の谷のナウシカ」の成功がジブリの設立、1980年代末からの快進撃(80年代1回、90年代5回、2000年代5回、2010年代3回、いずれも邦画の興行(配給)収入トップ1。)のきっかけとなる。スタジオジブリといえば、宮崎駿監督のイメージかもしれないが、実際は「宮崎駿・高畑勲監督の劇場用アニメーション映画を中心に製作」し、高畑勲監督の作品も「おもひでぽろぽろ(1991)」、「平成狸合戦ぽんぽこ(1994)」が邦画のトップ1を獲得。「ゲド戦記(2006)」と「コクリコ坂から(2011)」では宮崎駿監督の息子、宮崎吾郎監督が、「借りぐらしのアリエッティ(2010)」でも米林宏昌監督がいずれも邦画のトップ1を獲得。ジブリは宮崎駿監督だけではない。米林宏昌監督、宮崎 駿企画・脚本の2010年邦画興行収入1位「借りぐらしのアリエッティ」、出典:スタジオジブリ公式Website「借りぐらしのアリエッティ」について、スタジオジブリの鈴木は、「監督は、これまで高畑勲と宮崎駿がかわりばんこに作ることで成立していたスタジオで、二人とも高齢を迎えたため、若い力が必要ということで、企画が決まって、さて、監督をだれにするのかと、宮さんに聞かれたとき、思わず、ジブリでいちばん上手なアニメーターだった米林宏昌(通称、『麻呂』)と答えた。(鈴木は、「麻呂」とは「面と向かっ1980年代以降の名探偵コナンの邦画トップ3入り一般社団法人日本映画製作者連盟公表資料より作成。年2002年2003年2016年2017年2018年2019年順位231223興行収入(億円)343263.368.991.893.7 ファイナンス 2020 Dec.29サヨナラ、サヨナラ、サヨナラSPOT

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