ファイナンス 2020年12月号 No.661
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テレビCMに出てくる「アルプスの少女ハイジ」(スイスアルプスでの少女ハイジの成長とハイジを取り巻く人々とのふれあいを謳う。高畑勲演出、宮崎駿場面設定・画面構成)、1976年「母を訪ねて三千里」(少年マルコが出稼ぎに行った母を探しに出る長い旅の物語。場面設定宮崎駿、演出高畑勲)、1978年「未来少年コナン」(最終戦争後、孤島で暮らすコナンのところへ流れ着いた少女が連れ去られ、コナンは少女を救うため旅立つ。キャラクターデザイン:宮崎駿/大塚康生、演出:宮崎駿)など「メチャメチャだった」テレビアニメ黎明期。宮崎駿によると、「アルプスの少女ハイジ」では、1週間で6,7千枚のセルが必要になり、色が塗られてきたセルを見て、色のまちがいなどをチェックする仕上げ検査の女性はスタジオ(かつら屋が夜逃げした後のプレハブを借りたもの)にある6畳ほどの部屋の長椅子で泊まり込み、毎日平均睡眠2時間で仕事を続け、動画のチェッカーの女性は、東京中の外注先に依頼した動画3,000枚ぐらいを全カットを調べ、「ひどいときになると、36時間ぶっつづけで見」て、「最後は腰が抜け」たという。「アルプスの少女ハイジ」の「高畑勲演出、宮崎駿場面設定・画面構成」といっても門外漢には意味不明。スタジオジブリの鈴木敏夫取締役プロデューサーによると、共にスタジオジブリを創設することになる高畑勲の下で宮崎駿はレイアウトマン(実写映画のカメラマン兼演出家。画面の設計図。どの位置にキャラクターを置いて、どんな芝居をさせるのか。背景はどんな絵で、カメラはどう動かすのかを決める人。)だったとのこと。「宮さんに話を聞くと、『アルプスの少女ハイジ』の時の忙しさは想像を絶したという。演出は高畑勲。高畑さんの描いたマルチョンの絵コンテを清書し、レイアウトを描き終えるとさっそくスタッフとの打ち合わせが待っている。しかも、相手はすべてのパートにまたがる。…おかげで、家に帰るのは一週間に一晩だけ。放映日だけが家庭に戻る日だった。」、「あるとき、宮さんが感慨をこめて、こういったことがある。『パクさん(高畑さんのこと)のもとでおれは十五年間、青春を捧げた。いつか、返してほしい』」。(2)初のアニメ雑誌、「アニメージュ」創刊1978年、当時、徳間書房にいたスタジオジブリの鈴木敏夫は、「〈アニメブーム〉を日本中に巻き起こすきっかけとなる」、初のアニメ雑誌「アニメージュ」の創刊に奔走。その編集長になる先輩(ケチで有名な人だったという)から創刊の1か月前に「おごるからお茶を飲みにいこう」と誘われ、危険を感じつつ行ってみると、「敏夫君に、やってもらいたいんだ。」と言われて絶句。そのために半年以上前から打ち合わせていた外部のプロを昨日、全員クビにしたと言われてまた絶句。「だから、敏夫君に頼んでいるんだ。」と言われ、結局、引き受ける羽目に。一日目、先輩から紹介されたアニメ好きの女子高生3人からアニメについて勉強し二日目に台割(雑誌の目次)を作り、三日目に編集会議。先輩は「アタマのいい子に読んでほしい」と言い、「…いつものように、夕方になると、カラオケを歌いに新宿へ出かけた。…ぼくが二九歳だった。二週間はあっという間に過ぎた。部数は、7万部。発売三日で、ほぼ完売だった。」という。(3)週刊少年ジャンプ通常、アニメには漫画の原作が必要で、漫画の原作と言えば、例えば、週刊少年ジャンプ。1990年代には600万部以上売れたというが、最近はネットに押されて減少。それでも、毎週の読者アンケートでランキングし、不評なら容赦なく打ち切るので、長期連載は人気の証。久しぶりに見ると、冒頭カラー刷りで270円はきっと少年にとっても安い。ここでファンができると、固定客が見込めるので、テレビ化・映画化、関連グッズを売り出すというのがビジネスモデル。スペイン、レアル・マドリードのジダン監督ら世界のサッカー選手に影響を与えた「キャプテン翼」、バスケットボール漫画の金字塔「SLAM DUNK」から、最近連載終了が一般紙でも話題になった「鬼滅の刃」など、多くのテレビアニメを生み、映画化されたものも多い。「鬼滅の刃」は、2016年から連載開始で単行本のセールスは1億2千万部超え、劇場版の大ヒットで関連商品もヒット続々、制作会社アニプレックスの親会社ソニーの好業績にも貢献。「大阪税関は2020年1~6月、鬼滅の刃のキャラクターを模したフィギュアなど約1000点の輸入を差し止め」。『鬼滅の刃』にあやかった名前を付ける人もじわりと増え」、年間ベストセラーも「鬼滅の刃」小説版が1、2、4位入りし、 ファイナンス 2020 Dec.27サヨナラ、サヨナラ、サヨナラSPOT

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