ファイナンス 2020年11月号 No.660
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評者名古屋大学客員教授佐藤 宣之山本 義隆 著小数と対数の発見日本評論社 2018年7月 定価 本体2,800円+税「数学界に顕彰された物理教師」本書巻末の著者紹介を見ると、大手予備校物理教師と並んで「元東大全共闘代表」とある。著者こそが、同時期に東大生だった金融の大家をして「同時代のヒーローだった知の巨人」と描写させるその人だ。著者は物理教師の傍らで科学史研究に傾倒し、近代科学の成立過程を問うことが科学史の基本問題であると確信したのだという。そこで、多くがラテン語で書かれた原典と英語翻訳とを読み込み、本書を含む一連の著作を通じて以下の通り主張する。1 近代科学は17世紀の「科学革命」、即ちイタリアのガリレオ等に始まってイングランドのニュートン等に引き継がれる実験・測定・数学を重視する知的営為の中で誕生したとされるが、それに先立つ16世紀前後のポーランドのコペルニクス等を経てドイツのケプラー等に至る「天文学の革新」が「科学革命」への助走期間として決定的な役割を果たした。2 「天文学の革新」においては、古代ギリシャのアリストテレス等に端を発する地球中心の宇宙像から太陽中心の天文学への変革を実現させると同時に、同じくアリストテレス等に端を発する自然哲学を天文学の格下に位置付ける学問の下剋上を実現させた。3 「天文学の革新」に伴走・後押ししたのが「小数と対数の発見」となる。フランドルのステヴィン等が考案した10進法・小数表示が、スコットランドのネイピアが約20年を費やして考案した対数・対数表と相まって、天文学に必要な三角関数に関する膨大な桁数の計算を大幅に簡略化した。フランスのラプラスは「骨折りを少なくして天文学者の生命を2倍にした」と評価する。更に小数、対数の考案過程で始まった数の連続的・量的把握は微分、積分の萌芽となり、現代の数学、物理学の基礎を成すこととなった。本書は本年度、数学の研究・教育・普及に関する顕著な業績を顕彰する「日本数学会出版賞」を受賞した。数学の研究者、翻訳者等でない著者の手になる本書が受賞するのは、かつて「科学革命」を推し進めた数学と物理学とのコラボの再起動の予兆かもしれない。「昨日の常識は、今日の非常識」本書は興味深い、時に信じ難いエピソードに溢れる。1 学問には格付があった古代ギリシャでは、定義と論証に依拠して事物の本質的な定性を説明しようとする自然哲学は、観測や計算に依拠して事物の周辺的・偶有的な定量を説明しようとする天文学、数学よりも格上とされた。世界は始期も終期もなく自然の論理に従うとするアリストテレスの学説と、天地創造、最後の審判、超越神の世界への介入を語るキリスト教神学とは本来相容れない筈だ。しかし、アリストテレスが世界を変転する卑俗な地上世界と不変で神聖な天上世界とに二分したことが、人の住む世界の上方に神が住むとのキリスト教の教義と親和性を有するとの見立てから中世の知識人の支持を得ることとなり、西欧社会に長く深く根を下ろす。16世紀に彗星の出現が観測と計算によって論証され、不変で神聖な天上世界観は完全に崩れた。文字通り彗星のごとく現れた彗星の衝撃は現代人に想像できないレベルだったに相違ない。2 数字にも格付があったプラトンにあっては、数の学問とは純粋数学即ち学者が整数について思考を巡らしその本質を見抜くための学問であって、度量衡学即ち一般多数の人が建築や商取引に用いる計算技術とは区別された。やがて古代国家が成立し強力な王権のもとで大規模建造物の構築が始まると石塊や木材の寸法に端数が生じることは想像に難くないが、古代ギリシャの学者は端数を容認せず、端数の代わりに整数の比で表現しようと企てる。西欧で13世紀以降に発足した大学でも、数学特に計算技術の教育は長らく軽視されたという。52 ファイナンス 2020 Nov.FINANCE LIBRARYファイナンスライブラリーライブラリー

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