ファイナンス 2020年11月号 No.660
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(「ハウルの動く城」出典:スタジオジブリ公式Website)(5)北野武監督(1947年~)あいにく国際映画祭でまだ賞をいただいたことがなく、どうやって受賞が決まるのかはよくわからない。ただ、1983年、ハラ軍曹役で出演した大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」(坂本龍一の名曲をBGMに「第二次世界大戦下のジャワ山中の日本軍捕虜収容所を舞台に、極限状態におかれた男たちの心の交流を描いた人間ドラマ。」)について、真偽のほどは定かでないが、北野武監督曰く、「あれ、俺、助演男優賞か?って話もあったんだよ。…大島(渚監督)さんが、もう獲ったもんだと思ってパーティ開いたりなんかしたら、審査員が『やめよう』って、パッと変わっちゃたって。…『何だよそれ。そんなことで変わんの?』ってぐらい、ほんとに変わっちゃったのよ。大島さん、パーティーやったりなんかして、「OHSHIMA GANG」って描いたTシャツ着ちゃって、山本寛斎なんかの。それでねり歩いちゃったら、グランプリ、『楢山節考』(今村昌平監督)になっちゃった。で、発表のとき、間違えて「ナギサ・オオシマ、ナラヤマブシコウ」って言われちゃったんだよ(笑)。」。1989年、自身が主演の暴力的な異端刑事の組織や殺し屋たちとの闘いを描く「その男、凶暴につき」で監督デビュー。曰く、「まず台本を作るじゃない。そうするとエンターテインメントの共通項なんだけど、掴みっていうのがあって。お笑いだと、客前に出てきて『ツービートです』って言って、そこが最初の笑いなんだよね。それが映画にとっては最初の絵になるんだよ。映画の場合は、この掴みから行こうって決めるわけじゃなくて、台本が完成したときに、さて最初のシーンでどういう絵を使うかって考えるんだよね。」と語る。映画評論家の淀川長治が、「日本映画では、やっぱりタケシ(北野武)が群を抜いて立派だ。感覚が鋭い。…『HANA‐BI』は、封切が年を越すので何も今は申すまいが、やっぱりうまい、感覚の問題だ。」と封切前に絶賛していたら、翌1998年、『HANA‐BI』は、ヴエネチア国際映画祭で日本映画としては1958年の『無法松の一生』(稲垣浩監督、三船敏郎、高峰秀子出演、無骨な人力車夫の生涯を描いた。)以来40年ぶりの最高賞の金獅子賞など国際映画祭で受賞多数。北野監督曰く、「『HANA-BI』んときはねえ、だって、授賞式に行ってるスタッフ、誰もとると思ってないよね。…ただ、上映されたあくる日から、マスコミが騒ぎ出したんだよね。大島さんの時のことがあるから、ホテルの部屋に閉じこもっちゃうわけで(笑)。…上映が終わったときに……スタンディング・オベーションっていうの?客が立ち上がって、ワーッって拍手してくれて。『ああよかった、恥かかなかった』ってぐらいのもんだよ。あとできいたら、そんなことヴェネツィアでもはじめてだったらしいんだけど。そんなこと知らないじゃない。驚いちゃったけど。最終日近くになってきたら、初めて賞の話が出てきて、ほいでホテルにこもっちゃうっていうから、『あれ?俺、候補なんだ。』とでもなんか、獲れたらいいとは思うけど、それの数倍、「どうせダメだよ。」って感じあるから。」「こっちはカンヌのぬか喜びってのがあったから。カフェで写真撮られてても、『ヤだな、写真ばかり獲って。『戦メリ』の悪夢が。また『たけしぬか喜び』って(笑)。」。2003年には同じく、「座頭市」でヴェネチアの銀獅子賞(監督賞)も受賞(黒澤明監督の娘、黒澤和子が衣装担当)。更にヴェネチアでは「監督・ばんざい!」で参加した2007年に「監督・ばんざい!賞」受賞。黒澤明監督も、北野監督の作品はすべて見たといい、「HANA-BI」を観た黒澤明監督は、「『その男、凶暴につき』を観た時から、才能あると思ったね。この作品もずかずかと踏み込んでいく思い切りのよいところもあるし、楽しめたよ。出演してる一人一人の存在感がしっかり出ているところが素晴らしいね。」と語ったという。カンヌ映画祭で大評判だったという『菊次郎の夏』で受賞を逃した1999年、フランスからレオンジドヌール勲章(シュヴァリエ(騎士))を受賞。「ヴェネツィアでもらってるから、『ああそうか、こういう感じだな。賞もらうときは』なんて思ったら、くんねえ48 ファイナンス 2020 Nov.SPOT

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