ファイナンス 2020年11月号 No.660
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地方創生に積極的に取り組む自治体(原則人口10万人以下)に対しては、国家公務員や大学研究者、民間人材を、市町村長の補佐役として自治体に派遣しています。本記事では、こうした制度などを通じて2018年度以降に財務省から各地に派遣された職員から、現地の概況や地方創生の取組について紹介します。地方創生の現場から【第9回】「輪中根性」の残る海津市での地方創生やら地方財政やら岐阜県海津市 総務部 地方創生・行財政改革担当部長 髙木 康一1 海津市と輪中根性 そしてその簡単な歴史等岐阜県海津市は、岐阜県の最南端に位置し、西部・南部を三重県と、東部を愛知県と隣接する、人口3万4千人ほどの小さな市町村で・・・とつらつら書いていっても、おそらく殆どの人が退屈で読み飛ばしてしまうだろう。なので、皆さんご存知ないであろう海津市について違った切り口から紹介したい。「輪中」という言葉をご存知だろうか。小学校の社会の時間に学んだ(はず)なので、覚えている方もいるかもしれない。洪水から集落や田畑を守るために、周囲を堤防で囲んだ地域のことであり、また、その地域の村落組織のことも指す【図1輪中の成り立ち】。岐阜県の海津市(とその周辺自治体)は、まさにその輪中と呼ばれる地域である。揖斐、木曽、長良の木曽三川が市内を流れており、大昔から、水害に悩まされてきたため、輪中堤防をはじめとして、水屋や助命壇、上げ仏壇や上げ舟といった独自の文化・風習をもってきた(というか、過酷な自然のためにもたされてきた)地域である【図2水屋】。どれほど水害が過酷であったかは、この地の最初の藩主(小笠原貞信)が、水害多発のため転封を願い出たことや、その後を継ぎ幕末まで支配した藩主(高須松平氏)が江戸時代の間ずっと江戸屋敷に居住していたことからもわかると思う。お殿様にすら見放された土地なのだ。明治政府のお雇い外国人ヨハネス・デ・レーケというオランダ人技師(東海地方の人は小学校で習うらしい)により、複雑な流れをしていた木曽三川を分流したことで、ようやく水害に悩まされないようになった。海津市に来て、今のまっすぐに流れる木曽三川を見ても、「輪中ってのはどこにあるんだ?」となること請け合いだが、古地図を見ると、ぐちゃぐちゃの木曽三川に囲まれた地域が数か所あり、この自然環境の中から輪中というものが生まれたのだなと得心してもらえると思う【図3木曽三川の古地図】。図1 輪中の成り立ち図2 水屋海津市マスコットキャラクター「かいづっち」 ファイナンス 2020 Nov.27

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