ファイナンス 2020年10月号 No.659
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私の週末料理日記その419月△日日曜日新々今年の夏は暑い日が続いた。コロナもあって出かけるのは億劫だから、週末も家から出ずにごろごろして過ごす日が多かった。9月になっても暑いので、今日は買い物を断念して、食事は冷蔵庫になるもので済ますことにする。鶏肉ときゃべつがあるから、今晩は鶏ちゃん焼きにしよう。鶏ちゃん焼きとは、岐阜県の郷土料理というか典型的B級グルメで、鶏肉ときゃべつなどの大衆的な野菜を味噌や醤油ベースの甘辛いタレで焼いたもので、専門店では鉄板やジンギスカン鍋で焼く。ビールにやたらよくあうが、飯の菜としても優れもので、ご飯が猛烈に進む結構な料理である。今晩は、ホットプレートでたっぷり作って、単品メニューで手抜きすることにしよう。ごろごろ生活の料理と食事以外の時間は、寝転んでネット配信の映画を観るか、本を読むかしかないのだが、面白い映画や興味深い本にはなかなか当たらない。昨晩読んだ「義理と人情」(山折哲雄著、新潮選書)はよかった。尊敬する先輩から薦められたものである。長谷川伸は、明治17年生まれ。本書によれば、父の放蕩が原因で幼くして母親と生き別れ、小学校も卒業せずに、父親が営んでいた土木請負業の世界に入り、さまざまな職業遍歴の末、作家となった。彼が子どものころ、父のところに妊娠した女を連れた土工が出入りしていた。その女は、友人の女房だったが、かれが死ぬとき、自分の女房と腹の子の面倒をみてくれと頼まれ、約束を交わして生活を共にしていたのだが、女との間はきれいなままだった。その見聞がもとになって、名作戯曲「沓掛時次郎」が出来上がったのだという。旅のやくざ時次郎は、一宿一飯の義理で何の恨みもない六ツ田の三蔵と刃を交え、これを倒す。いまわのきわの三蔵に頼まれた時次郎は、三蔵の女房おきぬと息子の太郎吉を連れて旅に出る。やくざの足を洗おうとしている時次郎だったが、三蔵の子を宿しているおきぬの出産費用を稼ぐため、背に腹は代えられずやくざの喧嘩の助っ人に出る。時次郎の活躍で喧嘩には勝ったが、日当を手に時次郎が宿に戻ると、おきぬは難産で赤ん坊とともに死んでいた。時次郎は太郎吉と二人骨箱を抱えて旅立つ。私の大好きな作品である。本書によれば、長谷川伸の戯曲でもっとも上演回数の多いのは「瞼の母」である。江州番場宿の旅籠の伜忠太郎は、父の身持ちが悪く5歳の時に母と生き別れ、ぐれてやくざ渡世の中、母おはまを探し求めて江戸に出る。料理茶屋水熊の女将におさまっているおはまを探し当て名乗って出るが、やくざの兄がいては娘お登と世せの将来に傷がつくとおそれるおはまは、息子は九つで死んだと言ってきかない。落胆して出て行った忠太郎と入れ違いに戻ってきたお登世に説得され、おはまは後悔する。一方、おはまに恩を売って店を牛耳ろうとするやくざの金五郎は、忠太郎を斬ろうと浪人の鳥羽田を連れて忠太郎を追う。それを知ったおはま親子も追いかける。夜明けの荒川堤、忠太郎は鳥羽田を斬り倒す。おはまとお登世が忠太郎の名を呼びながら探すが、忠太郎は返事をしない。二人があきらめて去ったあと忠太郎は反対方向に歩き出して独り言つ。「俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんのおもかげが出てくるんだ――それでいいんだ。逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。」本書によれば、この「瞼の母」が機縁になって、長谷川伸は生母三谷かうと47年ぶりの再会を果たした。三谷家の長男、すなわち長谷川の義弟隆正は当時一校教授、次男孝信は外務省人事課長の職にあった。異父66 ファイナンス 2020 Oct.連載私の週末 料理日記

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