ファイナンス 2020年10月号 No.659
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面前に錦江湾と桜島の眺望が広がる城下町。堀と石垣が残る鶴丸城(鹿児島城)は島津77万石の本拠地にしては小ぶりに見えるが実は大きい。往時は県立博物館から国立病院までの外側に外堀があった。国立病院は、西郷隆盛が維新後旗上げし西南戦争の拠点となった「私学校」があった場所でもある。今年、城の正門「御楼門」の復元工事が完成した。御楼門の目の前には財務省の地方拠点、九州財務局の鹿児島財務事務所がある。このように今の官庁街は藩政期も官庁街で藩庁施設が集まっていた。さらに背後の城山全体が山城で、城山ホテルのある辺りに本丸曲輪があった。元々は関ヶ原で西軍に組し後に島津の退き口と語り継がれる壮絶な撤退戦を演じた島津氏が臨戦態勢で築いた城だ。藩政期までは山城部分が鶴丸城で、平城部分は藩主の居館という位置づけだった。山城と平城をあわせて鶴丸城と称するようになったのは明治以降である。港町の鹿児島令和2年の鹿児島市の最高路線価地点は天文館電車通りだった。路線価図が確認できるうち最も古い昭和32年も同じ場所だった。途中、昭和37年(1962)から30年にわたって天文館G3アーケードが最高路線価地点だったが、市電が走るいづろ通りと天文館通りが交差する場所であるには違いない。天文館交差点図1 鹿児島市街地鶴丸城⿅児島駅名⼭堀跡市電市役所三島村役場⼗島村役場⼭形屋琉球館跡城⼭(鶴丸城⼭城部)⻄郷隆盛⽣家跡∴∴◎御楼⾨財務事務所かつての⽔⾯照国神社国⽴病院(私学校跡)⻄郷像(県庁跡)桜島⽕⼝マルヤガーデンズ中央公園最⾼路線価県⺠交流センター博物館朝⽇橋出所)筆者作成50 ファイナンス 2020 Oct.540C560C610C620C400D400D400D570C630C660C650C550C610C600C420D420D400D400D400D410D410D410D420D440D390D390D390D320D320D370D340D970C275D290D270D870C850C870C900C870C360D360D500D730C510C510C810C490D1,090C1,200C1,410C1,380C1,520C1,620C1,650C1,560C1,570C1,510C1,720C2,100C2,240C2,210C2,160C2,350C2,390C1,900C1,500C1,430C1,130C1,150C1,500C1,550C2,600C2,550C2,430C2,310C1,730C1,080C255E295E240E320D275D470D470D540C路線価でひもとく街の歴史第8回 「鹿児島県鹿児島市」港町鹿児島と天文館連載路線価でひもとく街の歴史

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