ファイナンス 2020年10月号 No.659
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りで、本来、教育や医療などの他の用途に用いられてもよいはずの膨大な資金(その大半は、税金ではなく、宝くじのお金であるが)がミレニアム事業と呼ばれる巨大プロジェクトに投資された。(中略)ところが、これら三大事業は、いずれも、当初の見込みからは大幅に外れる結果となってしまった。(中略)しかし、担当者達はあまり悪びれる風ではない。(中略)日本で、政府が率先して多額の資金をつぎ込んだ事業がこれほど見事にことごとく失敗したら大変である。責任者は深々と頭を垂れ、まるで犯罪者の如き扱いを受けるのは必至であろう。(中略)「欠点、欠如」という進化に必ず伴うものに対して英国は思いのほか寛大だということであり、均衡状態に対して変化をもたらすことで生じる悪弊や不十分さに対して、殊更に騒がず、是正していこうという前向きの姿勢とも言えよう」というのである。それは、民主主義は「最悪の政治」なのだから、与党が失敗すれば野党に政権を委ねればいいとの考え方である。現在行われているブレクジットが仮にうまくいかなくても、それも「時の政権」の失敗の「最悪の政治」というわけである。そのシステムの下、とにかく与党であることを目指すというのではなく、正しいと考える政策を掲げてそれ実現するために「時の政権」になるべく選挙に臨む英国の二大政党制が成立しているのである。英国の政治が保守的に見えて、実は様々な改革を実現してきた原動力となっているのが、このような慣行といえよう。英国では、「時の政権」の政治家*19の責任追及は「時の野党」の政治家によってなされるべきであって*20、次の政権で「時の政権」になった政治家が、そこで新たに得られた政府の内部情報に基づいて行ってはならないという慣行が行われている。政権交代した後の新任大臣には前政権の文書へのアクセスが制限されており、新任大臣は前任大臣が公表等を行ったもの以外は、前任大臣によって記されたメモや文書を見てはならないのみならず、前任大臣の発言内容が正確に記された役所の文書の内容を耳にしてもならないとさ*19) 最終的な責任は全て「時の政権」の政治家という英国の仕組みは、民間人が大臣となる場合は、首相によって直ちに上院議員に任命される事によって担保されている。*20) 議会日程は、与党が決めることになっているが、予算審議の議事日程の約三分の一は野党のために組まれる慣行が確立しているなど、野党が政府を批判する機会が保障されている。*21) HM Treasury News Release 49/97。当時、ガーディアン紙は「ブラウンの改革案による敗者はFiscal stripteaseを演じさせられるBOEである。BOEは通貨政策の機能上の独立は得られるものの、それも9人の委員中4人が外部から任命される通貨政策委員会へ実際上は移譲することになる。さらに、国債の売却を通じた政府債務の管理権限も5月6日には大蔵省に手放したうえ、銀行監督権限までSIBに手放すこととなる」と報じていた。*22) 大久保の受けた衝撃については、「明治維新の意味」北岡伸一、新潮選書、2020、p142、参照。れているのである。「時の政権」の政治家だけが政策について全責任を負うという考え方は、中央銀行の金融政策についても貫徹されている。米国では政治家でも何でもないFRBのグリーンスパン議長が「経済の神様」などといわれながら金融政策についての責任を負っているが、英国の場合は最終的な責任を負うのはあくまでも「時の政権」の大蔵大臣である。この点は、1997年当時、わが国で中央銀行の独立性が議論された際に、英国でも仕組みが改められてイングランド銀行の独立性が新たに認められ、イングランド銀行が金融政策について最終的な責任を負うようになったとの誤った情報が伝えられ、今日でも誤解している向きが多い点である。当時、英国で行われた改革は、イングランド銀行が大蔵大臣から物価上昇目標(インフレ・ターゲット)を指示されて、その目標達成に必要な手段をとることについて幅広い裁量を任されたというものであった*21。金融政策そのものについては、大蔵大臣が最終的な責任を負っており、いつでもイングランド銀行に監督権限を行使するという仕組み自体に変わりはなかったのである。なお、「時の政権」の閣僚が担当する政策について全ての責任を問われるとなると、必然的に大臣等の閣僚の資質が問われることになる。その結果、英国では、大臣のポストを勤めるのに適当な人材と認められると極めて早いスピードで昇進し、そのポストを長期間務めることが一般的になっている。4英国流の二大政党制下における リーダーシップ確立に失敗した日本日本の明治維新政府で最初のリーダーになったのは、大久保利通であった。大久保は、明治4年に岩倉遣欧使節団の副使として欧米視察を行い、欧米の産業・軍事面における実力を実感して衝撃を受けた*22。その大久保が、明治6年に帰国して直面したのが征韓論であった。欧米視察で、今は国内産業の振興を優先 ファイナンス 2020 Oct.27危機対応と財政(5)SPOT

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