ファイナンス 2020年10月号 No.659
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え*15、その上に強力な保守勢力の支持を得て確立したものであった。それに対して、当初、野党勢力結集の試みは、失敗を繰り返し、大統領はドゴール(1959-69)からポンピドゥ(1969-74)と保守陣営が続いたが、1973年に社共左翼連合が成立する。そして、ポンピドゥが白血病で病死した翌1974年の大統領選挙においては、保守のジスカール・デスタン対、左翼統一候補ミッテランの対決となった。この時の選挙では、ポンピドゥの後継となったジスカール・デスタンが勝利したが、7年後の1981年の選挙ではミッテランが選出されて左翼政権の誕生となった。それは、ド・ゴールが導入した第5共和国憲法下における強力な権限を持つ大統領の登場が、過半数を取れる見込みの無い小政党の統合の動きを促進し、左右両翼の政党がまとまった結果だとされた。フランス大統領の強力なリーダーシップについて、櫻井陽二氏は、フランスはナポレオン以来、危機対応時においては権威者(仲裁者)に期待する特色を持っている。「この仲裁者は、自らの解決策に信用を獲得するため、しばしば英雄的スタイルに訴えたり、「文明」や「祖国」というナショナル・イデオロギーに訴える」。このようなスタイルは、「人民の下からのコントロールを許さない全体主義の支配とは、一見似ているようであるが、同じものではない。フランスは、全体主義の好餌といわれてきた孤立し疎外された個人から成る「大衆社会」ではない。個人の独立の伝統を支えてきた自尊心や家族の紐帯は強く、ゴーリスト的統治においても、それらは無傷のままである。したがって全体主義的操作にはひっかかりにくい。(中略)政府を自分の隣人同様信ぜず、また、不信の声を発したいと考え、また現実に発するのである*16(中略)。フランスの権威主義的体制を全体主義から区別する点は、このような批判の自由が残されていることと、この体制が権力に対して根強い反感をもつフランの社会の上に立っていることにある」としている。2018年*15) 第5共和国憲法(1958年)は、当初、第4共和国制下と同様の「国民の仲裁者」として機能する権限を大統領に想定していたが、ド・ゴール大統領はアルジェリア独立問題や仏領ソマリランド(現ジプチ)独立問題などに対処する中で、大統領の最も形式的な機能をも実質化して独裁的な政治スタイルを確立していった。例えば、憲法の「大統領は大臣会議を主催する」との規定は第3、第4共和国憲法と同じもので、大統領は単に司会することを想定していたが、ド・ゴールは同規定を根拠に会議で自ら決定を下すようになった。*16) フランスでは祖国は愛すべきものと教えられるのに対して、政府は警戒すべきものと教えられているとのことである。*17) フランス革命期の思想家バンジャマン・コンスタン(「近代人の自由と古代人の自由」岩波文庫、2020)は、ギリシャのポリスの時代と異なり、近代においては代議士を通じてしか政治参加できないとして英国型の議会制民主主義を擁護している。なお、フランス革命当時、民主主義は「暴徒」を意味しており、多くの指導者は、自分が「民主主義」の導入を企てていると評されるのを拒んだとされている(「民主主義の非西欧的起源について」デヴィッド・グレーバー、以文社、2020、p55~)。*18) 「英国大蔵省から見た日本」木原誠二、文春新書、2002の黄色いベスト運動にみられるように、何かあればデモ隊が街に繰り出し、その際、公共交通機関がストで止まっても、それに寛容なのがフランスである。おかしいと思えば、すぐに街頭に繰り出して意思表示をするのである。そこには、「時の政権」に権力をゆだね、議会における言葉の決闘を見守りながら次の選挙まで待って審判を下す英国とは、かなり異なる国民性を見出すことが出来よう*17。3英国首相のリーダーシップの背景に あるもの英国の議院内閣制の下におけるリーダーシップは、第2次世界大戦を迎えた時点で成熟していた。産業革命で先陣を切り、多数の労働者が生まれた英国では、日本の明治維新期に選挙権の拡大が行われ、保守党のディズレイリと自由党のグラッドストーンの間で二大政党制が確立されていたのである。その背景には、マグナカルタ以来の名誉革命などの歴史があったが、もう一つ忘れてならないのが、それが阿片戦争やセポイの乱などの植民地戦争を戦いながらのものだったことである。そもそも、西欧諸国におけるリーダーシップの確立の背景には、30年戦争、100年戦争、ばら戦争といった中世以来のヨーロッパにおける戦争の歴史があった。戦争に勝つためには、有能で強力な指導者が求められたのである。それを議会制民主政治の下で「時の政権」への権力の委任という形で実現したのが英国であった。以下においては、そのような英国の「時の政権」を成り立たせている慣行について触れておくこととしたい。それは、チャーチルが「民主主義は最悪の政治と言える」と言った英国の民主主義を「最悪」なりに機能させている基盤にあると考えられるものである。まずは、英国民が「時の政権」に無謬性を期待していないという慣行である。木原誠二氏*18によれば、「2000年、ミレニアムを迎えた英国では、政府の肝い26 ファイナンス 2020 Oct.SPOT

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