ファイナンス 2020年10月号 No.659
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法で規制した。対外的には、海軍力を背景とした棍棒外交*7といわれるカリブ海政策をすすめた。そのローズヴェルトの執務ぶりを参考に、米国大統領の強力な権限を基礎づけたのが、コロンビア大学教授で後に28代大統領となったウッドロー・ウィルソン*8(1913-21)であった。ウッドロー・ウィルソンは、1908年に行った講義で「大統領とは単に国家をリードするのではなく、自らの見解にあわせて国家を形成していくのである」とした。それは、ほとんど憲法修正の域に達するシステムの再解釈であった。4年後に大統領となったウィルソンは、「国家を最初はメキシコとの戦争*9に、最後にはヨーロッパでの戦争(第1次世界大戦)に導いた」のである。しかしながら、第1次世界大戦が大きな犠牲を米国民に強いることになり財政も破綻したことから、戦後に生じたのは、やはり揺り戻しであった。米国はウィルソンが提唱した国際連盟に加盟しなかった。米国の選挙民は政党を共和党から民主党にきりかえて、ヨーロッパでの戦争に参加しない、連邦予算を均衡させるといった公約を掲げたフランクリン.ローズヴェルトを大統領に選んだ。ところが、「この新大統頷はいったん選ばれるや、自分がセオドァ・ローズヴェルト流のリーダーシップの継承者であることを示した。(中略)地球全体を破壊する世界戦争がこれに続いた」というのである。フランクリン・ルーズベルト大統領のリーダーシップに関しては、春具(はるえれ)氏*10の以下のような指摘が興味深い*11。「戦争というようなダイナミックな機会を捉えて、自らのビジョンを実現した政治家として例にあげられるのが、フランクリン・ルーズベルトです。彼はアメリカがまだ戦争に参加する前から、第二次大戦終了後の世界のあり方について青写真を持っていた。はじめはスケッチ程度であったが、戦争の進み具合とともにそれは明確なかたちを整え、彼の戦時戦略もそれに沿って具体的なものになっていった。ルー*7) Speak softly and carry a big stick.*8) 米国大統領になった唯一の政治学者。コロンビア大学の講義のタイトルは「立憲政府」(Constitutional Government)であった。*9) メキシコ革命(1910-1917)への干渉*10) 元国際連合事務局化学兵器禁止条約機関(OPCW)訓練人材開発部長*11) 村上龍のメール・マガジン、2001年12月21日。同旨、「ルーズベルトの開戦責任」ハミルトン・フィッシュ、草思社、2014、p78*12) 開戦後の米国では、日米開戦後帰米したグルー駐日大使が、開戦に至った責任は米国の姿勢にもあると指摘したところ、ハル国務長官から事実上米国内での講演活動を禁止された(“The Japanese Thread”John K. Emerson、Holt, Rinehart and Winston、1978)。“The Japanese Thread”は、筆者が米国留学中に読み、その後、日米現代史に関心を持つきっかけになった本である。*13) 「アメリカ大統領の正義」NTT出版、2015、p23、85*14) 「フランス政治体制論」櫻井陽二、芦屋書房、1994、p371ズベルトの考えは、(中略)国際連合をつくろうというものであった。その構想のために、ルーズベルトは戦争に勝たねばならなかったし、勝つためにアメリカを戦争に引き込む必要があったのです。以前にもちょっと書いたと思いますが、彼は自分のことをJugglerペテン師だと云っていました。『いいかね。わたしはペテン師なんだ。わたしはこの戦争に勝つためにはなんでもする。同盟国はもとより、自国民でもだましもするし、誤解もさせる(中略)』。奇襲の先が真珠湾だとは知らなかったらしいが、ルーズベルトは日本が、どこでもよいからアメリカを攻撃して、それによりアメリカ国民が激怒するのを待っていたわけです。」*12そのようにして強くなった現在の米国大統領のリーダーシップについて、猪口孝氏は「アメリカ大統領は期限がついていることを除けば国王のようなものである。(中略)政治的権威の強化についてアメリカほど強く賛意を示す社会は先進民主主義7カ国のなかにない(ちなみに日本ほど強く反対を示す国もない)のである」「そういった様子は、音楽(たとえば国歌)、服装、そして宣誓からも強くにじみ出ている」*13としている。2フランス大統領のリーダーシップの 確立*14フランス革命で、近代民主主義の確立に大きな貢献をしたフランスは、第2次世界大戦までは、リーダーシップが確立できない国として知られていた。戦前の第三、第四共和制下のフランス議会には野党有利のルールがあり、それがフランスにおける大統領や首相のリーダーシップの確立を不可能にしていた。その反省の下、大統領のリーダーシップを確立したのが戦後のド・ゴール将軍による第五共和制であった。それは、戦後、フランスの植民地だったアルジェリアにおける独立戦争の危機の中、国民議会から権限を付託されたド・ゴールが憲法を改正して制度的な基盤を整 ファイナンス 2020 Oct.25危機対応と財政(5)SPOT

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