ファイナンス 2020年9月号 No.658
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兵庫県尼崎市といえばわが国産業革命史に残る尼崎紡績(現・ユニチカ)や旭硝子(現・AGC)の発祥地で工業都市のイメージが浮かぶ。阪神尼崎駅の北側に縦横に広がるアーケード商店街は日本一早い阪神タイガース優勝マジック点灯式でも有名だが、総延長2kmに及ぶ屈指の規模だ。東西軸の尼崎中央商店街、南北軸の三和本通が交差するところが街の中心で、路線価図で確認できる昭和32年以来、平成に至るまで尼崎市の最高路線価地点だった。阪神高速の下が戦前のメイン道路もっとも駅の北側が賑やかなのは戦後から。それまでの中心市街地は駅の南側にあった。国道2号が開通したのは昭和元年(1926)で、中国街道の今でいうバイパス路線だった。沿線の市街地開発が進んでいたが戦前は田畑や空き地が多かった。工都尼崎は江戸時代から続く城下町でもあり、地図からその輪郭が読み取れる。まずは庄下川の流路が城下町の区画を反映している。線路の南にある寺町の寺院群が城下町の北の縁。西端には貴き布ふ禰ね神社があった。神社の西側の道は昭和初期まで水路で、水路は三和本通の脇を北上していた。庄下川の東側は城内地区といい、尼崎城の城郭にあたる。昭和32年頃の地図では城内地区の南辺に国鉄尼崎港駅が見える。開業は明治24年(1891)で、明治38年(1905)に開業した阪神尼崎駅より早い。当時は伊丹・尼崎間を結ぶ川辺馬車鉄道の駅だった。摂津、阪鶴鉄道の時代を経て明治40年(1907)に国有化。国有化時点の駅名は「尼ヶ崎」で、今のJR福知山線の、塚口駅から枝分かれした支線の終着駅だった。昭和24年(1949)に「尼崎港駅」に改称。同時にそれまで「神崎駅」と称していた駅が「尼崎駅」になった。今のJR尼崎駅である。尼崎港駅の前の東西の通りが戦前のメインストリート「本町通り」である。今の国道43号線で、頭上には阪神高速神戸線がある。朝から晩まで乗用車やトラックが行き交う現在の風景からは、ここが人通り多い商店街だったと想像しにくい。往時をしのぶ数少ない近代建築が旧三和銀行である。大正12年(1923)に尼崎共立銀行の本店として建てられた鉄筋コンクリート造で、昭和に入り山口銀行となった。山口銀行は三十地図 昭和32年(1957)頃の尼崎市中心部寺町寺院群卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍貴布禰中央商店街三和本通中国街道国鉄尼崎港駅阪神尼崎駅国道2号現在の国道43号後に埋め⽴て後に開通中国街道旧三和銀⾏尼崎信⽤⾦庫警察署尼崎城本丸跡庄下川庄下川尼崎城再建(平成31年)県⽴病院(昭和59年まで)⻄⼤⼿橋市役所市⽴⾼校三和銀⾏旭硝⼦本町通り城内地区⼩開明旧尼崎発電所⾄・旧尼崎紡積本社出所)筆者作成62 ファイナンス 2020 Sep.540C560C610C620C400D400D400D570C630C660C650C550C610C600C420D420D400D400D400D410D410D410D420D440D390D390D390D320D320D370D340D970C275D290D270D870C850C870C900C870C360D360D500D730C510C510C810C490D1,090C1,200C1,410C1,380C1,520C1,620C1,650C1,560C1,570C1,510C1,720C2,100C2,240C2,210C2,160C2,350C2,390C1,900C1,500C1,430C1,130C1,150C1,500C1,550C2,600C2,550C2,430C2,310C1,730C1,080C255E295E240E320D275D470D470D540C路線価でひもとく街の歴史第7回 「兵庫県尼崎市」工都尼崎から史跡豊かな城下町へ連載路線価でひもとく街の歴史

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