ファイナンス 2020年9月号 No.658
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ん長い日」(岡本喜八監督、1967年公開、東宝)を観てしまったからなあ。何しろ157分の大作である。何度か観た映画であるが、鈴木貫太郎総理大臣役の笠智衆、阿南惟幾陸軍大臣役の三船敏郎はじめ山村聡、宮口精二、志村喬、加藤武、石山健二郎、島田正吾、藤田進、伊藤雄之助、田崎潤、加東大介など名立たる名優が勢揃いし、叛乱青年将校役にも椎崎中佐に中丸忠雄、畑中少佐に黒沢年男など芸達者な俳優を配しただけあって、見応えがある。天本英世演ずる横浜警備隊長佐々木大尉に至っては怪演とでも評すべきものだ。内容は、いわゆる宮きゅう城じょう事件を描いたもので、昭和20年8月14日の晩、ポツダム宣言受諾を阻止しようとした陸軍省軍務局中心の青年将校達は、近衛第一師団長森赳中将を殺害して偽の師団長命令を発して近衛歩兵第二連隊を出動させ、皇居や放送会館を占拠した。しかし田中静壱東部軍管区司令官を説得することができず、阿南陸相の自決もあって、クーデターは失敗し、翌15日正午玉音放送を以て終戦を迎えたのである。因みに「日本のいちばん長い日」には2015年公開版(原田眞人監督、松竹)もあるが、やはり50余年前のものの方がしっくりくる。8頭身体形の最近の俳優が、昭和の軍人を演ずるのには無理があるのかもしれない。それはともかく眠い。しかし、ここで昼寝をすると今晩寝つけなくなってしまう。アイスコーヒーをがぶ飲みしてから、寝そべって「主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作」(山本智之著、新潮選書)を読む。同書によれば、「(太平洋戦争末期の)日本陸軍は戦争継続一枚岩・一辺倒の組織で、(海軍、宮中、外務省などの)終戦工作派に裏をかかれて、不本意ながら戦争終結に移行した」という一般的理解は必ずしも正確ではなく、陸軍には陸軍なりの終戦工作があり、主体的に戦争終結にむけて動いていた勢力もあった。著者は、参謀本部作戦課を中心とした主戦派と同戦争指導課を中心とした早期講和派が主導権争いを展開する中で、中間派(サイレントマジョリティ)が両者を天秤にかけ、最終的に早期講和派を支持することで戦争終結に移行したと分析する。同書によれば、早期講和派の中心人物である松谷誠戦争指導課長に早期和平の研究を促したのは中間派の杉山元(当時参謀総長)であり、44年6月松谷が東条英機首相兼陸相兼参謀総長に日独の敗勢を前提としたソ連仲介による終戦工作を意見具申して東条の逆鱗に触れ、支那派遣軍に飛ばされたのを、同年11月に陸相秘書官として中央に戻したのも杉山(当時陸相)であった。また、従来主戦派とみなされていた梅津美治郎(44年7月参謀総長就任)が、実体は中間派であり、総長就任以降陸軍の人事を握り、表向き主戦派に味方しつつ、次第に東条人事を覆し、東条系あるいは作戦課系の佐藤賢了軍務局長、真田穣一郎参謀本部第一部長、服部卓四郎同作戦課長等主戦派の中核を陸軍中央から遠ざけたことも指摘している。「日本のいちばん長い日」の中で陸軍の長老が陸軍の方針として「皇軍ハ飽迄御聖断ニ従ヒ行動ス」と申し合わせる場面があった。梅津参謀総長、第一総軍司令官杉山元帥、第二総軍司令官畑元帥ら長老たちがいずれも淡々と了解する。降伏受け入れなのに実に淡々としている。そうであれば、なぜもっと早く終戦の意思決定ができなかったのだろうか。軍人である以上停戦の命令がない限り戦い続けるが、ひとたび大元帥陛下の御聖断が下った以上承詔必謹が当然であるという単純な話ではなかったはずだと思う。陸軍省、参謀本部の要職を歴任した長老たちであるから、帝国憲法下統帥権は独立しており、本土決戦か降伏かの判断は統帥部抜きには決することができないこと、仮に内閣で決しようとしても陸軍大臣が辞職すれば、軍部大臣現役武官制がある以上簡単に倒閣に追い込めることは十分知悉しており、我が国として終戦の意思決定は、陸軍が敗戦を受け容れるかどうかにかかっていることはわかっていたはずだ。このあたりの疑問に、本書は一つの解を示してくれたような気がする。本書によれば、阿南陸相も含めて長老たちは、皆中間派だったのだ。筆者が思うに、サイレントマジョリティだった彼らが、既に敗戦必至であることは理解しつつ、積極的に戦争終結を言うことはできなかったのは、単純な保身とか、プライドとか、一時は与した主戦派への遠慮ということだけによるものではあるまい。本土決戦もなく降伏したのでは戦場に散った多くの英霊に申し訳ないという気持ちもあったろうし、国体の護持に不安もあったろう。そして何よりも、かつて2・26事件で皇軍相撃の恐怖を実54 ファイナンス 2020 Sep.連載私の週末 料理日記

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