ファイナンス 2020年9月号 No.658
41/88

5我が国の行政府最後に、我が国の行政府についても見ておくこととしたい。かつての霞ヶ関においては、米国の国防総省の委託で大学で行われているような議論がなされていた。池田首相の所得倍増論をとりまとめたのは、建設省から経済企画庁を経て国土事務次官になった下河辺淳等の行政官が中心となった研究会*41であり、また大平首相の政策研究グループの学際的な議論にも多くの行政官が参加していた。そうした議論の上に、直言がなされて政治を支えていた*42。上司のそういった姿を見ることで、若手のころから政策提言の技量を磨くということが行われていた。筆者が大蔵省(当時)に入省した時、当時の官房長は「同期仲良くしろ」と訓示した。やがて誰かが次官になると他の同期は退官して公庫や公団、あるいは民間企業などに行くことになる。しかしながら、そこで活躍して社会の役に立つ。大蔵省は、そのための学校のようなところだ。だから、同期みんな仲良くしなさいということだった。それは、我が国の行政府がかつてフランス型だった時代のものだった。最近の霞が関は、政治主導の英国型になる中で、身分保障がほとんどなく、直言が行われにくくなっている。その結果、おもねりが生じやすくなっているとの指摘を行っているのが元人事院人材局審議官で京都大学大学院公共政策連携研究部の嶋田博子教授である*43。嶋田氏によると、直言が行われにくくなると、政治側が高度の政策提言を求めても行政内部でそれにこたえることが出来にくくなくなる。それが、創造的な仕事が出来る場ではないと認識されることになって、優秀な学生の公務員離れにつながっているという*44。「どの国においても、外から見える仕組みとは別に、それらを支える社会的な規範観や試行錯誤を経て積み重ねられた運用上の工夫が存在している」、そういった全体像に目を向けることなく各国制度の切り貼りを行った結果、「正論を貫くための生活保障など*41) 下河辺研究会の模様は以下のようなものであった。「所得倍増というか賃金倍増論ですが、これは社会党が先に言い出した考えでした。(中略)面白いことに、杜会党の賃金倍増論も、池田内閣の所得倍増論も、作業している人は、同じ経済企画庁の職員なんですね。あのころの役人は、かなり革新系の人が多かったですから、杜会党のために喜んで作業する職員がいたのです(読売新聞:2003.10.30)。*42) 「面従腹背」などという言葉を聞くことはなかった。*43) 嶋田(2020)p188、257*44) 嶋田(2020)p120-122、155*45) 嶋田(2020)p202、204、255。*46) 「政治の力を強めるために有効な部分は取り入れられた一方で政治側の責任や行政官の専門性発揮を高める部分はほとんど顧みられていない」とされている。(嶋田(2020)p155)*47) 嶋田(2020)p274*48) 「米国官僚制理論から日本への示唆(1)、(2)」嶋田博子、人事院月報2020,8月号、9月号は措置されず、他国よりも官が脆弱な仕組みになっている」というのである。嶋田氏は、現状について、「与野党問わず個々の国会議員が行政官を呼んで叱責したり、国会質疑に代わる形で頻繁に開かれるようになった野党合同ヒアリングで報道陣の前で長時間にわたって厳しい追及が行われたりすることが目立つ」ようになり*45、しかも、こうした要請に勤務時間の内外を問わず即応が求められ、「事実に基づかぬ中傷があっても、行政官側からの抗議は許されない」ことになっているという。現状は、米国型の職業官吏への不信感が制度化される中で、それに代わる米国のような経済界や学会、マスコミによるシンクタンク機能が生まれていない。結果として、かつて存在していた欧州型の職業官吏の政策立案、実行機能が失われて弱体化いるというものであろう*46。「政治主導とは、政治が行政官を統制すれば終わりではなく、行政官が持つ知見や能力を最大限に発揮させて始めて成功と言える」*47。民間企業でも、従業員の知見や能力を最大限に発揮させる会社が成長していく。今日の日本で、志を持つ若い人が公務員になるのを躊躇するようになってきているとすれば、それは、政治を支える行政府にとって憂うべき事態である。英国の「権力への直言」機能を維持するための最近の取り組みなどを参考に、良い雰囲気作りの大事さに思いをいたすべきであろう。職業官吏への不信感が強い米国においても、2000年代からは「国民にとって良き行政」という観点から、政策立案における専門性や幅広い民意の支持に支えられた官僚の役割を評価する立場が登場してきており、生身の人間である官僚に寄り添った学問的処方箋を提示しようとする動きも感じられるようになってきているとのことである*48。 ファイナンス 2020 Sep.37危機対応と財政(4)SPOT

元のページ  ../index.html#41

このブックを見る