後の難所を過ぎ、玉置山を越えれば熊野本宮大社はあと一息のところです。玉置山から5時間ほど歩いたところで、山の木々の隙間から、熊野本宮大社のある熊野川流域が見えた時の感動はひとしおでした。熊野古道の中辺路には「伏ふしおがみおうじ拝王子」という史跡があり、はるばる中辺路を歩いて熊野本宮大社がようやく見える場所だったことからそこで参拝者が伏して拝んだそうで、それが名前の由来になったとされていますが、まさにそれと同じように、伏して拝みたい気持ちになった瞬間でした。写真 山の合間から見える旧社地・大斎原現在の熊野本宮大社は熊野川近くの小高い山の上にありますが、これは明治22年の大水害にあったのちに移転されたものであり、それまでは、熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大おおゆのはら斎原」と呼ばれる中州に位置していました。上四社・中四社・下四社の合計十二社の社殿があり、現在の8倍もの規模を誇っていたそうですが、現在はそのうち、水害で残った上四社を移築したものとなっています。当時の参拝者は川を歩いて渡り、冷たい水で身を清めた後に中洲にある熊野本宮の神域に入っていたそうです。私もその昔の習わしに則って、川を歩いて渡り、身と心を清め、熊野本宮大社への参詣を果たすことができました。写真 熊野川を歩いて渡るおわりに大峯奥駈道の山行は、6日間で合計50時間超の行程であり、体力的にも精神的にも厳しいものでしたが、道中では世界遺産・熊野古道の豊かな自然と歴史、地域の人々に脈々と受け継がれている文化やその精神を一遍に体感でき、非常に有意義な時間となりました。大峯奥駈道に限らず熊野古道は、必ずしも一気に歩かなくとも、途中入山・下山できるルートも多く、その一部を切り取って楽しむこともできます。熊野詣が盛んだった中世の時代では、後白河上皇が34回、後鳥羽上皇が28回も熊野へ参詣していたとのことで、鎌倉後期からは武士や民衆の参詣も盛んになり、旅人の切れ目がなかったことから「蟻の熊野詣」と例えられていたそうです。身分や階級を問わず、多くの人々の憧れの対象となっていた熊野に、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。参考文献小山靖憲(2004)『世界遺産 吉野・高野・熊野をゆく 霊場と参詣の道』朝日新聞社五十嵐敬喜他(2016)『世界遺産 熊野古道と紀伊山地の霊場』ブックエンド藤田庄一(2005)『熊野、修験の道を往く』淡交社宇江敏勝(1999)『熊野修験の森』岩波書店和歌山県観光PRシンボルキャラクター「わかぱん」 ファイナンス 2020 Sep.31和歌山、修験の道を行くSPOT
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