ファイナンス 2020年9月号 No.658
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ちが大正時代に独力で山頂まで運んだとの逸話が残っています。この釈迦ヶ岳は二百名山に選ばれているだけのことはあり、山頂からの眺望は素晴らしく、360度の紀伊山地の大パノラマが楽しめ、天気が良ければ遠く三重県の熊野灘も望むことができます。4日目:南奥駈、行仙岳釈迦ヶ岳を過ぎてからようやく後半戦の始まりで、釈迦ヶ岳以南は、大峯奥駈道の中でも特に「南奥駈」と呼ばれるエリアになります。この南奥駈からは段々と水場が少なくなるため、その間は給水や食事に必要な水を荷物として運ぶ必要があり、疲れた足にずしりとこたえます。道中の持経ノ宿という休憩所の近くに数少ない水場があり、その水場は400mほど谷を下ったところにあるのですが、疲れた体で急な谷を往復1キロ近く上り下りするのは厳しかろうと、地元の人々がボランティアで水をタンクに汲んで宿まで持ってきてくれていました。地元の方々の善意から、熊野古道への深い愛着が感じられます。釈迦ヶ岳から丸一日歩いたところにある行仙岳の付近で雹や雷雨に見舞われたため、日の入り直前に近くの山小屋に駆け込み、そこで一泊することになったのですが、聞けば、この立派な山小屋は「新宮山彦ぐるーぷ」という和歌山県南部の新宮市で結成された自然保護団体が、浄財を募って建設したのだそうです。小屋の中の壁には元財務大臣の故・塩川正十郎先生の写真が飾ってあるのですが、この団体が小屋の建設費用の寄附を募った際に、塩川先生が多大なる応援・貢献をされたという縁で、写真が飾られているとのことでした。この「新宮山彦ぐるーぷ」は、明治維新後の神仏分離令・修験道廃止令により廃れて荒廃していた南奥駈の道を再興し、その環境保全・整備に取り組んでいる団体ですが、その南奥駈再興の一環でこの行仙岳にある山小屋を建設されたそうです。このような地元の団体の方々のたゆまぬ献身があってこそ、世界遺産の道が良好な状態で維持され、快適に歩くことができる環境が残されていることに敬意を表したいと思います。写真 行仙岳山小屋5~6日目:大斎原、熊野本宮大社行仙岳を過ぎるといよいよ終盤に差し掛かります。笠捨山から地蔵岳に至る鎖場や絶壁沿いの道が続く最和歌山の冬の祭りと言えば、毎年2月6日に県南部、紀南地方の新宮市で行われる「お燈とう祭り」です。熊野速玉大社の摂社である神かみくら倉神社で行われるこの祭りは、勇壮な火祭りとして知られ、その起源は1400年以上前の飛鳥時代にまで遡るといわれています。神倉神社には這って登るくらいの急峻な538段の石段があり、祭りでは、白装束に身を包んだ約2000人の男たちが、火のついた松明を持ってその急勾配の石段を暗闇の中、一番を目指して猛スピードで駆け降ります。もともとは旧正月に行われており、新年に新たな火を迎え入れる祭りだったそうで、南紀に春を呼び込む風物詩となっています。写真 お燈祭りでの神倉神社山頂の様子コラム3 和歌山の冬~「火祭り」お燈祭り~30 ファイナンス 2020 Sep.SPOT

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