ファイナンス 2020年8月号 No.657
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金沢は、前田利家公を藩祖とする加賀百万石の城下町。明治に入ってなお京都、名古屋に次ぐ5位の人口規模を保った。加賀友禅や金箔など伝統工芸が盛んで、その経済力を背景に独自の町衆文化が発展。ひがし、にし、主計町の3つの茶屋街が伝統を今に伝えている。金沢は戦災を免れたため、城下町の痕跡がここかしこに残る。武家屋敷や町屋は言うまでもなく、伝統的な町割りもよく残っている。図1は金沢市の中心街である。昭和30年代の地図と見比べ、当時は存在しなかった道は破線で示した。城下町の直線的なグリッドの中で、曲線を描いた道はだいたい堀の跡である。金沢城を囲む「お堀通り」は名前の通り外堀だ。さらに外側に城をぐるりと囲む2本の道が走っている。これは堀と土居からなる防御施設「惣そうがまえ構」の痕跡である。所々で当時の遺構が整備されており、復元された水路や升形を眺めながら城下町を一周するのもおもしろい。片町と武蔵ヶ辻昭和35年(1960)、金沢市の最高路線価の所在地は「片町えり虎呉服店前電車通」だった。金沢の商業地は北国街道沿いに展開した。片町は犀川を渡ったところから香林坊の手前まで。わが国で初めて商業組合が組織された屈指の商店街でもある。えり虎呉服店は、当時「電車通」と呼ばれていた北国街道と、片町と同じく中心街を構成する商店街の竪たて町まち通りが合流する地点(図中1)にある。ここで電車とは北陸鉄道金沢市内線で、昭和42年(1967年)に廃止されるまで、片町を通り、香林坊、武蔵ヶ辻を経て金沢駅に至るメインストリートを往来していた。その後、最高路線価の目印が「大和百貨店」、次いで「一の谷カバン店」に、通りの名前が市内電車の廃止に伴い電車通から「片町通り」に変わったが所在地自体は平成に至るまで変わっていない。大和百貨店はえり虎呉服店の3軒隣(図中2)にあった。金沢初の百貨店で、大正12年(1923年)に当地で開店。当初は宮市百貨店と称していた。一の谷カバン店はえり虎呉服店と大和百貨店の間にあった。片町に次ぐ第2の商業拠点が「武蔵ヶ辻」で、オフィス街を挟んで向こう側、北国街道の曲がり角にある。そのシンボルは享保期以来約300年の歴史を持つ金沢市民の台所、「近おうみちょういちば江町市場」だ(図中3)。地魚や図1 金沢市中心街 金沢は、前田利家公を藩祖とする加賀百万石の城下町。明治に入ってなお京都、名古屋に次ぐ5位の人口規模を保った。加賀友禅や金箔など伝統工芸が盛んで、その経済力を背景に独自の町衆文化が発展。ひがし、にし、主計町の3つの茶屋街が伝統を今に伝えている。金沢は戦災を免れたため、城下町の痕跡がここかしこに残る。武家屋敷や町屋は言うまでもなく、伝統的な町割りもよく残っている。図1は金沢市の中心街である。昭和30年代の地図と見比べ、当時は存在しなかった道は破線で示した。城下町の直線的なグリッドの中で、曲線を描いた道はだいたい堀の跡である。金沢城を囲む「お堀通り」は名前の通り外堀だ。さらに外側に城をぐるりと囲む2本の道が走っている。これは堀と土居からなる防御施設「惣構そうがまえ」の痕跡である。所々で当時の遺構が整備されており、復元された水路や升形を眺めながら城下町を一周するのもおもしろい。 片町と武蔵ヶ辻 昭和35年(1960)、金沢市の最高路線価の所在地は「片町えり虎呉服店前電車通」だった。金沢の商業地は北国街道沿いに展開した。片町は犀川を渡ったところから香林坊の手前までのエリアである。わが国で初めて商業組合が組織された屈指の商店街でもある。えり虎呉服店は、当時「電車通」と呼ばれていた北国街道と、片町と同じく中心街を構成する商店街の竪町たてまち通りが合流する地点(図中1)にある。ここで電車とは北陸鉄道金沢市内線で、大正8年(1919年)営業を開始。片町を通り、香林坊、武蔵ヶ辻を経て金沢駅に至るメインストリートを往来していた。 その後、最高路線価の目印が「大和百貨店」、次いで「一の谷カバン店」に、通りの名前が市内電車の廃止に伴い電車通から「片町通り」に変わったが所在地自体は平成に至るまで変わっていない。大和百貨店はえり虎呉服店の3軒隣(図中2)にあった。金沢初の百貨店で、大正12年(1923年)に当地で開店。当初は宮市百貨店と称していた。一の谷カバン店はえり虎呉服店と大和百貨店の間にあった。 片町に次ぐ第2の商業拠点が「武蔵ヶ辻」で、オフィス街を挟んで向こう側、北国街道の曲がり角にある。そのシンボルは享保期以来約300年の歴史を持つ金沢市民の台所、「近江町市場おうみちょういちば」である(図中3)。地魚や加賀野菜を中心に約180の店が軒を連ね、近年は観光客も大勢訪れる。図中4、現在は複合商業施設「かなざわはこまち」の場所には昭和5年(1930)に三越が金沢城兼六園武蔵ヶ辻香林坊片町犀川浅野川⑥①②⑦③④⑤電車通→片町通り大手門ひがし茶屋街主計町茶屋街にし路線価でひもとく街の歴史 第6回 「石川県金沢市」 郊外の新都心と旧城下町の町並み 出所)筆者作成金沢駅東66 ファイナンス 2020 Aug.540C560C610C620C400D400D400D570C630C660C650C550C610C600C420D420D400D400D400D410D410D410D420D440D390D390D390D320D320D370D340D970C275D290D270D870C850C870C900C870C360D360D500D730C510C510C810C490D1,090C1,200C1,410C1,380C1,520C1,620C1,650C1,560C1,570C1,510C1,720C2,100C2,240C2,210C2,160C2,350C2,390C1,900C1,500C1,430C1,130C1,150C1,500C1,550C2,600C2,550C2,430C2,310C1,730C1,080C255E295E240E320D275D470D470D540C路線価でひもとく街の歴史第6回 「石川県金沢市」郊外の新都心と旧城下町の町並み連載路線価でひもとく街の歴史

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