ファイナンス 2020年8月号 No.657
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評者国税庁長官可部 哲生中尾 武彦 著アジア経済はどう変わったかアジア開発銀行総裁日記中央公論新社 2020年06月 定価 本体2,500円+税本書は、2011年8月から2013年3月までの財務官御在任当時と、2013年4月から2020年1月までのアジア開発銀行(ADB)総裁御在任当時についての中尾前総裁のメモワールである。米国等と異なり、我が国では、当局者が退任後に回顧録を著す例は少ない。この点、本書は、退任から間を置かずに出版され、当局者の実際の政策判断に当たっての考え方、舞台裏での各国代表との熾烈なやりとりや、ADB総裁の視点から見たADBの戦略と運営、開発経済の理論と実践を踏まえたアジア経済の課題と展望などを、総裁在任中の様々なエピソードを交えて生き生きと描き出しており、大変貴重な書籍であると言える。この本は一見して分厚く(本文389ページ)、専門的で読みにくいように見えるが、評者は、読み始めて、ぐいぐいと引き込まれ、巻を措く能わざる思いで一気に読了した。読んで面白く、学んで為になり、勇気を与えられる書籍であり、為替や開発経済を専門としておられる研究者、エコノミストはもちろんのこと、国際金融を学ぶ学生の必読書となることは間違いないと思われる。そして、何より、若手の公務員、就職を考えている学生の皆さんに、是非、一読をお薦めしたい。本書は、3部で構成される。第1部では、財務官時代を振り返る。円が戦後最高値の1ドル75円32銭を付け、大規模為替介入を行った2011年10月を挟んでの各国の当局者との緊迫したやりとりや、2012年秋以降に急速に進んだ円安への対応などが活写されており、為替レートについての著者の考え方が明快に示されている。また、ユーロ債務危機、日中金融協力、東京でのIMF世銀総会開催等を通じて培われた欧米、アジアの当局者と中尾財務官(当時)との絆は、ADB総裁時代にフルに活用されることとなるため、第一部は、ADB総裁時代のいわば前史ともなっている。第2部では、ADB総裁時代の7年弱を回顧する。ADB総裁には、業務、政策、戦略を決める、ADBを代表して加盟国等に対応する、多様な人材が集まる組織を運営する、といった役割があり、普段、私たちが窺い知ることのできないADBの奥の院の日常を総裁の視点から見ることができる。また、加盟国の殆どを訪問する中で、開発プロジェクトの具体的な事例、各国の歴史・文化や環境などを踏まえて考え抜かれたアジア経済の実情と課題が、最前線の手触り感をもって語られる。国際的な議論を呼んだ中国やAIIBとの関係も注目されるが、ここでも、国際金融の世界で長年培われてきた人脈が、協調融資等の建設的な対応に大きく貢献していることがわかる。さらに、ADBの業務は、設立当初のインフラ貸付から、教育や保健など社会セクターへと拡大し、アジア危機では緊急支援を行うなど、大きく進化を遂げてきた。中尾総裁自らが主導し、その人脈を駆使して加盟国を説得し、ADBの貸付能力を飛躍的に拡大させたバランスシート改革や、新長期戦略の策定はその象徴とも言えよう。第3部は、中尾総裁がADBのエコノミストの英知を結集して編纂した「アジア開発史」を踏まえつつ、第二次世界大戦後のアジアの開発を振り返る。1993年に世界銀行が刊行した「東アジアの奇跡」を超えて、アジアの途上国全体をカバーし、気候変動、世界金融危機等をも包含した分析によって、アジアの発展が市場志向の政策や技術の発展に基づいていることが具体的に論じられ、さらに、将来の課題は何か、が明確に示されている。ADB総裁が、国際開発金融機関やアジアを代表して、グローバルな議論をリードしている姿はアジア人の一人として誇らしく感じる。書きぶりは事実に即して、具体性と客観性を踏まえており、参考になる部分が多い。本書を読んで、財務省は、真剣に、価値のある、面白い仕事をしているところであること、大学時代の学問も生かせるような知的な職場であり、学ぶ機会も多いこと、やり方によっては家庭生活とのバランスもかなりとれることにも改めて気付かされる。若手の皆さんに一読をお薦めする所以である。 ファイナンス 2020 Aug.49ファイナンスライブラリーFINANCE LIBRARYファイナンスライブラリーライブラリー

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