ファイナンス 2020年8月号 No.657
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読者の皆さまは山形県といえば何を思い浮かべられるでしょうか。筆者は平成29年7月から令和2年7月まで山形県で勤務する機会をいただきました。この間に、家族で大ファンになった山形の魅力を言い表すことばを考えてきました。筆者にとって山形は何をおいても全国一の生産量を誇るさくらんぼでありました。さらに果樹王国である山形は、さくらんぼに加えて西洋梨の収穫量も全国1位であるほか、すいかの収穫量は全国3位、そしてえだまめの収穫量も全国5位なのです*1(農水省 野菜生産出荷統計)。筆者は母の故郷である宮城でごちそうになった、えだまめをすりつぶして作るずんだもちの味が忘れられなかったのですが、山形のお団子の高品位さは想像を上回るものでありました。近くの直売所や大型のショッピングセンターで売られている「まんぷくだんご」には、あんこ、ずんだ(ぬた)に加えてくるみ、ごま、みたらしの5つの味の串団子が入っていて、どれも安定してすばらしいお味です。山形の豊かさは、最近に始まったことではないということに気づかされたのは、橋田壽賀子さんが終戦直後にご親族の疎開先を訪ねたエピソードを「私の履歴書」で書かれていた一文です。「戸越銀座の伯母が、養子の実家がある山形県の左沢に疎開していた。そこに行けば食べ物にありつけるかもしれない(中略)。米沢から山形。そこから左沢線に入って寒河江を通り、終点が左沢だった。(中略)材木問屋に向かう途中は一面風にそよぐ稲穂の海だった。山形にはこんなにお米がある。材木問屋に着くと養子の姉というおばさんが(中略)きな粉にゴマ、クルミ、枝豆をつぶした『ずんだ』と七色のおはぎを大*1) 農林水産省「野菜生産出荷統計:平成30年産」(令和元年12月)(https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sakumotu/sakkyou_yasai/.令和2年7月19日最終閲覧)*2) 橋田壽賀子氏「私の履歴書(8)」日本経済新聞朝刊 令和元年5月9日.*3) イザベラ・バード著、時岡敬子訳「イザベラバードの日本紀行」(講談社学術文庫、平成20年)。Bird,Isabella L. Unbeaten Tracks in Japan. Originally published:London:John Murray, 1911.皿で運んできた。私たちは息をのんだ。」*2)私はこれを読んで快哉を叫びました。まさに七色。甘党の私は山形のスーパーのお菓子売り場に行くといつも覚える感動を言い当てていただいた思いでした。1「完璧なエデンの園、アジアの桃源郷」さかのぼって明治時代の山形の豊かさを伝えているのが、イギリスの旅行作家で英国王立地理学会特別会員であったイザベラ・バード(1904年没)です。バードは明治11年の6月から8月にかけて東京から函館まで3か月間の旅を家族や友人への手紙として書き残しています。バードは旅の中で現在の国道113号線の宇津峠を経由して現在の飯豊町に入り、川西町小松で宿泊した後、赤湯に着いたときに望んだ米沢平野の様子を次のように激賞しています。(山形に住む人々の間で)特に有名であります部分を時岡敬子氏の翻訳*3で引用したいと思います。「米沢の平野は南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉の町、赤湯があって、申し分のないエデンの園(a perfect garden of Eden)で、『鋤ではなく画筆で耕されて』おり、米、綿、とうもろこし、たばこ、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろをふんだんに産します。微笑みかけているような実り豊かな地です。繁栄し、自立した東洋のアルカディア(a smiling and plenteous land, an Asiatic Arcadia)です。十分にある土地はすべてそれを耕し、自分たちの育てたぶどう、いちじく、ざくろの木の下に暮らし、圧迫とは無縁─東洋的な専制のもとではめずらしい光景です。(中略)美と勤勉と快適さの魅惑山形の魅力、紅をたどって前山形県総務部長 三浦 隆40 ファイナンス 2020 Aug.SPOT

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