ファイナンス 2020年8月号 No.657
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3パラオのホテルにてペリリュー島からパラオ本島のホテルに戻り、あれこれ思いに耽りながら美しい敷地内を散策し始め(ちなみにホテルの敷地内には日本大使館もある)、入り江沿いに岬の端のほうに歩いて行くと、突然視界が開け、荒れた広いコンクリートをところどころ雑草が覆う、不思議な場所に出た。これも大戦中に軍用で使われていたのではないか?周囲を見ると、あった。英語の説明書きのプレートがあった。これによると、もともとは民間航空機用に1934年に造られたが、戦争開始により日本軍に徴用され、軍用水上機の離発着用のスペース、及び修理地として使われたとのことであり、近くの丘は管制塔等の通信設備があったとのことである。突端の丘の上に向け密林の中を更に歩いて行くと、古く朽ち果てた建物に出くわした。これは大戦中に日本軍によって作られた通信用の構造物ではないか。中を見たが落書きがあるだけで、この用途を示す手掛かりは何も無かった。観光客で1年中賑わうこのリゾートホテルの敷地の中に、未だに戦争の跡がそのまま残る。良く探すと米軍の爆弾や銃弾の跡もそこかしこにあるらしい。このパラオ本島も、一時的に日本の連合艦隊の艦船や航空部隊の拠点になり、1944年3月以降戦争の惨禍に曝されたのである。滞在客でこうした戦争の痕跡に気がつく人は、一体どれほどいるだろう。あったのはプレート1枚、しかも事実を余りにも淡々と書いたものだ。ホテルのスタッフは、滞在中ずっと変わらぬ微笑みで、日本語由来の明るい挨拶を投げてくれる。微笑みと挨拶を返しながら、自分の中に不思議の感情が湧いてくる。パラオの人たちは、ただ全てを忘れたいのか、それとも本当に日本に愛着を持ってくれているのか。答えが見つからないものは多い。手掛かりを見つけるためには、あと何回この国に来る必要があるだろうか。4パラオのために、何が出来るか実は、7月21日現在、コロナ禍の中で、パラオ発着の航空便は(パラオ人を帰国させるチャーター便を除き)全て運航停止になっている。従って、我々は、今、パラオ本島にも、ペリリュー島にも行けない。イルカにも会えない。コロナ禍が続くと、観光に依存するこの国の経済への影響は甚大なものとなる。これまで縷々書いたように、パラオは日本と深い縁がある。我々は、パラオのために何か出来ることは無いだろうか?小さなことでも、1人1人がやれば、大きなものが出来るかもしれない。We can make a dierence. You can make a dierence. 今日からでも、考え始めよう。(最終回の次号に続く) ファイナンス 2020 Aug.39新・エイゴは、辛いよ。SPOT

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