ファイナンス 2020年8月号 No.657
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た統治を実現出来たと言われる。このため、日本の文化の名残が国のあちこちに今も見られる。びっくりする順番から以下に記す。(1)パラオ語になった日本語長期の統治により日本語は現地の生活の一部になり、パラオの人々はそれを受容し、多くの日本語がパラオ語になり、今の若者は語源が日本語ということを全く意識せず日本由来の言葉を使う。例えば以下の如しである。・ダイトウリョウ(大統領)、センキョ(選挙)、ケンポ(憲法)、バッキン(罰金)等。これらの法律・政治的なものは外国から輸入の必要があったのは分かる。・しかし、つい微笑んでしまうのは、以下のような、いかにも日本の人が普段使うがなかなかエイゴではニュアンスを出しにくい表現である。アツイネ(暑いね)、ショウガナイ(しょうがない)、メンドクサイ(面倒臭い)、ムリ(無理)、ダイジョーブ(大丈夫)、バカヤロ(馬鹿野郎)、サビシイ(寂しい)、ノンベエ(のんべえ)、オテンバ(お転婆)、オジサン(伯父の意味ではない)等。・他方、以下のようなものは、最初にパラオの人にこんな日本語を教えた奴は一体誰だ、と言いたくなる。アジダイジョーブ(美味しい)、アタマグルグル(混乱する)、ツカレナオース(ビール等を飲む)、アイコデチョ(ジャンケン)、サッポロイチバン(インスタントラーメンの総称)、アブラパン(あんドーナツ)。以上をビビッドにまとめた動画がある。企画は在パラオ日本大使館であり、大変失礼ながら大使館企画とは思えない出色の出来で、かなり心から笑える。最後は河野外務大臣(当時)もパラオのダイトウリョウも出てくる。https://www.palau.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000258.html 検索エンジンでは、「パラオ語紹介動画」で検索すれば出てくると思う。とにかく、どんなに夫婦喧嘩しても、夫婦倦怠期で話題を失った2人でも、これさえ一緒に見ればOKである。(2)世界で唯一の憲法の規定太平洋戦争後、パラオは国際連合の委託により1947年に米国の信託統治領になり、今はパラオの公用語はパラオ語と英語になっている。パラオが独立したのは1994年なので、第一次大戦後の日本の統治の期間(25年間)よりも米国統治期間(47年間)のほうが長かった。それなのに「ショウガナイ」「メンドクサイ」がパラオ語の中に生き残り、生活言語として普通に話されているのは極めて興味深い。しかも、もう1つ驚くべきことがある。パラオ最南部に位置するアンガウル州では、州憲法で以上の2つの言語に加えて日本語も公用語になっている。正確に言うと、アンガウル州で話される方言(dialect)が「州の言語」で、パラオ語、英語、日本語が「公用語」と規定されている。以下が憲法の公式英語版である。ARTICLE XII GENERAL PROVISIONS(A):Ocial LanguagesSection 1. The traditional Palauan language, particularly the dialect spoken by the people of Angaur State, shall be the language of the State of Angaur. Palauan, English and Japanese shall be the ocial languages.日本国憲法には、「日本の公用語は日本語である」との規定は無いから、この規定が、世界で唯一日本語を公用語と定めた憲法、ということになる。もっとも、アンガウル州の人口はわずか130人なのだが。(3)パラオの人のおなまえっ!現在の駐日特命全権大使は、フランシス・マツタロウ閣下である。パラオ・日本外交関係樹立25周年記念事業HPでのインタビューによれば、「マツタロウ」はお父様のファーストネームとのことである。 (https://readyfor.jp/projects/palau25Japan) これだけでは何のことかよく分からないが、パラオには古くは苗字という慣習が無く、日本統治下において日本人のファーストネームを苗字に「採用」する人が多かったらしい。以下、恐らくパラオの人の名前を平均的に代表していると思われる(但し特に根拠は無い)パラオ観光庁 ファイナンス 2020 Aug.35新・エイゴは、辛いよ。SPOT

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