ファイナンス 2020年8月号 No.657
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今回は、南洋の島・パラオについてお話したい。自分が2017年12月に行って、是非ともお伝えしたいこと、これから考えていきたいことが一杯出来たからである。例えば以下の点である。・ 何故パラオではこれほど沢山の日本語由来の言葉が使われているのか?・世界で唯一、日本語を公用語と定める憲法とは?・イルカよ、お前もか?・ 太平洋戦争中のペリリュー島での激戦は、他の日米戦とどこが違っていたか?・ 戦禍を経ても日本との深いご縁が続いているのは何故か?いつものように余談を交えながら、パラオの現在と過去を見つめる中で、日本人が世界の中で生きていくに当たり学べることがあるか、書いて行きたい。話の最初に、基礎知識の確認である。「パラオ」という国の名前は良く知られているが、どこにあり、日本とどういう縁のある国だか、ご存じだろうか?「ああ、去年のラグビーワールドカップで日本と戦った、ラグビー強い国だね。」いや、それはサモア。少しヒント。太平洋戦争の激戦地があって。。。「ああ、ガダルカナルね。それがパラオか」いや、それはソロモン諸島。申し訳ないけど相当パラオから遠い所にある。実際、私も、自分が行くまでは、余り知識が無かった。ただ、大変な親日国であること、太平洋戦争の激戦地だったということは聞いており、その2つがどう結びつくのか、漠として不思議に思っていた。私がマニラに赴任してしばらくの後、直行便で所要2時間余の距離と知り、冬の休みに行くことにした。1パラオと日本のご縁まず、国旗に親しみが湧く。白黒ではよく分からないが、ライトブルーに黄色の円形。円の中心はやや左に寄っている。勝手に親近感が湧くが、日の丸の影響があるかどうかは諸説あるらしい。なお、ブルーは海、黄色は月を表すというのは確かなようである。何故パラオは日本と特に縁が深いのか。パラオは第1次世界大戦前はドイツの統治下にあったが、1914年の開戦後に日本が占領し、終戦後1920年に国際連盟により日本の委任統治領と認められた。すなわち、今年は日本とパラオとのご縁が正式に始まってからちょうど100年なのである。太平洋戦争の敗戦まで日本の統治は続き、日本から多くの入植者が来て、太平洋戦争中は人口3万4000人のうち7割以上は日本人だった(軍人除く)。この長い統治期間の間、学校、病院、道路等のインフラ整備を進め、日本人パラオ人平等に接すべしとの基本方針が貫かれ、極めて安定し新・エイゴは、辛いよ。大矢 俊雄―第四回 パラオ・ペリリュー島編―~ひと世紀の縁~外務省ホームページから引用34 ファイナンス 2020 Aug.SPOT

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