ファイナンス 2020年7月号 No.656
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そもそも経済政策として、庶民の贅沢禁止つまり家計支出の切りつめに意味あるのだろうか。庶民までが贅沢をするので諸しょ色しき高こう直じき(物価高騰)となり、米増産で米価が下落する中で、収入を米に依存する幕府や武士が物価高で困窮するから贅沢を禁止しようという論法なのだろうが、迂遠すぎないか。商人の所得に課税したり、財産課税した方が有効かつ公平ではないか…。情報提供番組とやらの音声を聞きながら、とりとめもないことを考えているうちに結局うつらうつらしてしまった。目を覚ますともう夕方。今晩は家の者たちが、サラダと茄子の焼びたしと鰯のパン粉焼きを作るという。結構なことであるが、飯の菜にはちと心細いので、私は豚のスライス肉をカリカリに炒めて、人参といんげんと炒り合わせて韓国風に味付けることにする。夕食は、カリカリ炒めで大いに飯が進み、いい年齢をしてどんぶり飯を2杯半も食べてしまった。食後報道番組を見ながらひとしきり世の中を慨嘆してから、入浴して坊主頭を丁寧に剃り上げたら、もう11時近い。明日の出勤に備えて寝床に入らないといけない時刻なのだが、昼食後不覚にも長々と昼寝をしてしまったので、まったく眠くならない。仕方がないので、ネット配信の映画を見ることにする。月形龍之介主演の「水戸黄門」にするか、ジョン・フォード監督の「肉弾鬼中隊」か、それとも川島雄三監督の「洲崎パラダイス赤信号」か。散々迷った挙句「洲崎パラダイス赤信号」にする。昭和31年7月、翌年4月の売春防止法施行間近で公開された映画である。冒頭、愚図で覇気のない義治(三橋達也)と堅気女には見えない蔦枝(新珠三千代)が、勝鬨橋の上で「これからどうする」「どうするって、お金60円しかないのよ」と思案している。結局二人はバスに乗り、蔦枝がかつて籍を置いていたらしい洲崎パラダイスの近くで降り、遊郭の入り口にある居酒屋「千草」に入る。店の女主人お徳(轟夕起子)は、夫が若い娼婦と駆け落ちしてしまい、女手ひとつで幼い息子二人を育てている。蔦枝は千草で働き、義治はお徳の紹介で近くのそば屋「だまされ屋」の住み込み店員となる。人あしらいのうまい蔦枝は、赤線の往来に寄る客たちの人気を集め、いつもスクーターでやってくる神田のラジオ商、落合(河津清三郎)に気に入られアパートに囲われる。そんな中、女と出奔していたお徳の夫伝七が姿を現すが、お徳は何も言わず家に入れる。蔦枝の件で怒って飛び出した義治が落合を探し疲れて千草に戻ると、お徳から「だまされ屋」の気立てのいい店員玉子(芦川いづみ)と一緒になれと勧められ、義治も真面目になろうと思い始める。ある日、落合にも飽きた蔦枝が千草に戻る。お徳に「義治と一緒にいたときは、落合のスクーターの音がすると、どんなにクサクサしててもパーッと気分が晴れたの。ところが落合と一緒になってみると、そば屋の出前持ちが通るたび、みんな義治に見えちゃうの」とあっけらかんと話す。その晩、パトカーがサイレンを鳴らして神社に向かう。現場には野次馬に交じって義治とお徳がいた。伝七が一緒に逃げた女に殺されたのだ。お徳が泣き崩れているところへ蔦枝が現れ、義治とお互いを見つめ合う。その晩、二人は洲崎を出る。数日後、出張から帰ってきた落合が千草に寄る。「(伝七のことは)大変だったね。まあ、初めから帰って来なかったと思えばいいじゃないか」と無神経な言いぶりながらお徳を慰めた後、「ところで」と蔦枝の消息を訪ねる。「また前の男と一緒になってどっか行っちまいましたよ。…あれも悪い子じゃないんですけど、ひっかかるだけあなたの損でしたよ」と言うお徳に、落合は「アパートの権利…着物と…諸雑費とともにざっと10万円の損か」と笑う。一方義治と蔦枝は勝鬨橋の上で、これからどうしようかと映画冒頭同様の応答を繰り返している。蔦枝が「今度はあんたの方から先言ってよ。あんた行くとこついてくからさあ」と言うと、義治は「それじゃ行こう」と彼女の手を引いて、バスに走っていくのだった。別れないとだめになるとわかっていながら別れられない男女の腐れ縁がテーマの映画なのだが、後味は悪くない。昭和30年代、すなわち明日は今日よりもよくなる時代の活力を感じた。登場人物中、私はラジオ商の落合が気に入っている。彼の明るい俗物ぶりが好きだ。彼の人物像に、劇中勝鬨橋をひっきりなしに通過するダンプカーの列以上に、高度経済成長を予兆させるものをみたと言えば、少々理屈っぽいか。監督の川島雄三は、多作と豪遊で知られ、作家の織70 ファイナンス 2020 Jul.連載私の週末 料理日記

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