ファイナンス 2020年7月号 No.656
38/86

先日、「ファイナンス」編集部から、読者からお葉書を頂戴したとの連絡があった。差出人が書かれていないが、以下のような嬉しい内容だった。「ファイナンス令和2年5月号をたまたま目にしました。大矢俊雄さんの「新・エイゴは、辛いよ。」とても面白かったです。(中略)私は英語が苦手で普段使うこともないのですが、勉強になり、楽しく読みました。こんなご時世で、いろいろ大変だと思いますが、お体にお気をつけてください。」読者からお葉書が来るというのは滅多に無いそうで、真に有難いことである。また、6月号の拙稿を読んだ某IT系企業に勤める私の友人からメールが来て、「今朝から万引き家族をアマゾンプライムで見始めました。始業まであと24分のところまで見ました。終業後号泣する予定です。」と書いてあった。これも早速のアクションは嬉しいが、業務に支障が出ないことを祈るばかりである。こうしたお褒めと励ましを頂き、本人の調子も出てきたので(?)、今回が最終回のはずだったが、2回延ばして今号を含めあと3回機会を頂くことになった。もうしばらくお付き合い頂ければ幸いである。今号は、「世界の中の日本人」について話をさせて頂きたい。いろいろ苦労もあるけど、日本人も世界で頑張れるんだ、という内容である。1日本人的なもの(ある一面)15年前、世界銀行で日本の理事代理という職にあった時、世界銀行の日本人職員のシェアが僅か2%(日本の出資割合は6%)だったため、何故日本人が増えないのか調べていた。その過程で、直近のYoung Professional(若手採用)の最終候補7-8人に日本人が2人残ったのに2人とも不採用となったことが分かり、人事課長に尋ねた。その答えは、かなり衝撃的なものだった。人事課長曰く、「日本人候補者の1人は、専門知識、英語表現力とも全く申し分なかったのですが、個人面接で自分が詳しくないことを聞かれた時、余りにも正直に、自分はその分野は詳しくなくて、不正確なことを申し上げるのも宜しくないかと思います、申し訳ありません、と謝られ、話が続かなかったのです。」「もう1人も、能力的に申し分無く、個人面接での評価はとても高かったのです。しかし、グループ討議のセッションで、あるテーマについて自分の意見を述べ議論に参加することが求められていた際、自分の意見をしっかりまとめてから発言しようと慎重になり過ぎて、最後に手を上げて話を始めたら途中で時間切れになってしまいました。」もうやめてくれ、と耳をふさぎたくなるほど、痛切な話だった。確かに、日本人でそういうタイプの人はいる。でも、助け舟を出さず状況を放置した面接者にも問題があるのではないか、基本的な能力の総合評価ではなくそういうプレゼンの技能不足だけで落とすというのはひどいのではないか、と思ったし、その旨その場で言った。逆に、慎重な日本人のほうが組織としては有難い、という人も多いのは事実である。決定的に困るのは、ペラペラと中身の無いことを言い続け建設的な解決法を何も示さない、というタイプで、むしろ多くの日本人のように、思慮深く慎重に考えた上で、他の人の意見にも細やかに配慮しつつ、妥当な解決案を提示する、という方が組織にとっては有用、と言われたことは数多い。日本人の神経の細やかさは、外国人には時に特別なものとして映るようである。ある私の知り合いの日本人が、英国留学中の試験の日、綺麗に削られた鉛筆を新・エイゴは、辛いよ。大矢 俊雄―第三回 世界の中の日本人編―34 ファイナンス 2020 Jul.SPOT

元のページ  ../index.html#38

このブックを見る