ファイナンス 2020年6月号 No.655
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いった。山形市の最高路線価地点は1975年(昭和50年)、石巻市は1995年(平成7年)に駅前に移った。もっとも都市による早い遅いはある。たとえば盛岡市は駅に向かう途中の大通・菜園地区に留まっている。高速道路の時代~歴史の重層性を掴む車社会化は1970年代に始まった。鉄道路線のさらに外側を囲むようにバイパス道路が通った。盛岡バイパスの開通は1969年(昭和44年)である。車社会化が街の構造を変えるのはもう少し後、90年代である。1995年(平成7年)、わが国の世帯当たり乗用車保有台数が1を超えた。もっとも80年代末に1を超えた福井県をはじめ地方では90年代後半にもなると2台保有する世帯が珍しくなかった。このころバイパス沿いに数万m2クラスの大型モールが次々開店。数年間で商業地図を塗り替えた。それまで伝統的な中心地と駅前の競争だったのが、この両者を含めた中心市街地と郊外モールとの競争になった。石巻市のようにバイパス道路のさらに外側に高速道路が開通し、ICの麓に大型モールや基幹病院が集積したところもある。1人1台のレベルで乗用車の普及が進み、車社会に適応した中心市街地が旧市街の外側に新たにできた。石巻にいたっては最高路線価地点までICの麓に移転した。興味深いのは、舟運と街道の時代、鉄道の時代、バイパス、高速道路の時代に新たにできた中心地が場所をずらしつつ同じ都市圏にあることだ。城下町の江戸時代、近代化遺産の明治大正、百貨店やアーケード商店街が全盛を極めた昭和、そして平成のロードサイドとそれぞれ違う時代が同じ街に同居している。元来の中心から外に向かって各時代の町なみが地層状に積み重なっている。このような歴史の重層性を感じることが街歩きの楽しみでもある。商業の中心地が郊外に移ったとしても、舟運と街道の時代に栄えた元来の中心地は役割を変えつつ残っている。水辺の風景が心地よく、人の足で歩くのにちょうどよいサイズの住まう街だ。現代風に再生した地元ゆかりの工芸品や酒造の工房も街の魅力を高めている。車社会化に抗い郊外と競う時代が過ぎゆく今、かつての中心地が本来の姿に戻りつつあるのを眺めるのも楽しい。(※)http://ktgis.net/kjmapw/河川街道1河川街道12鉄道アクセス道路3河川街道12鉄道バイパスアクセス道路3河川街道鉄道バイパス高速道路アクセス道路412ⅠⅡⅢⅣ舟運と街道の時代鉄道の時代バイパス道路の時代高速道路の時代元来の中心地駅前の集積郊外の集積プロフィール大和エナジー・インフラ 投資事業第三部副部長 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。2018年から現所属に出向中 ファイナンス 2020 Jun.57路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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