ファイナンス 2020年6月号 No.655
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た。どうした、と聞いたら、「その表現はテキサスでは殆ど犯罪だ」と言う。何故?「スペードはトランプのスペードの色を連想させる。だから。。。」人種的な問題を想起させるのだと言う。なるほどと思った。そうなると、これはテキサスより広がりを持つ問題かどうかが重要になってくる。Sensitiveな意味を持つとすると、自分も気を付けなければならない。今度はランチの時にADBのスコットランド人に聞いてみた。すると瞬時、まったくテキサス人と同じ速度で、青ざめた。「それは、スコットランドでは殆ど犯罪だ。」It is almost a crimeという表現も全く同じだった。そうなると、豪米英と来たから、次はNZだ。NZ人の同僚に聞いてみた。「は?俺は毎日のように使ってるけどそれがどうした?」やはりオーストラリア人と同じか。こうした問題には気を付けなければならない。無知無意識が人の感情を傷つけることは避けなければならない。後はオーストラリア人・NZ人の仲間に注意喚起すべきかという問題が残る。しかし非エイゴ国民の私が言うのもなあ、と思いつつ時は過ぎていった。そしてADBを去り、帰国し、最近またマニラ出張の機会を得た際、ADBのイングランド出身の幹部に聞いてみた。「ロンドンでは全然問題ない。」え???スコットランドでは駄目なのに、ロンドンなら良いの?「スペードは、単なるシャベルだ。俺たちは心からそう思っている。シャベルをシャベルと言っているだけだ。」まあ、そう言われると。。。しかし同じ英国なのに。。。もちろん見解には個人差があり、同じ国でも違う意見の人もいる筈である。今年3月にオーストラリアの外務省に行った際、ある課長さんにこの表現を使うか聞いてみた。「普通に使っているけど、何故?」当方の説明を聞いて、こう言った。「なるほど。そう言われてみれば気を付けないといけないかもね。」これで、少なくとも大枠としては、豪・NZ・イングランドvsテキサス・スコットランドの図式かと思われた。ところが。キャンベラの街で送り迎えしてくれた運転手さん(もちろんオーストラリア人)に同じ話をした。そして、「この国でも、スペードは単にシャベル?」と聞いた。すると、色をなして猛烈に言ってきた。「違う。」え? 「シャベルは、こう、先の方が尖っている。スペードは幅が細くて、刃の先端が直線だ。土を強く掘るならスペードだ。シャベルと一緒にしないでくれ。」そっちで来るか。。。何か幼少時の思い入れがあるのか、延々と力強くスペードの独自性について語られた。いずれにしても、ここで、イングランドと豪の間に重要な亀裂が入った。Call a spade a spade。不定冠詞を含めたった3つの語で、ここまでエイゴ圏の人たちの間の違いを浮き彫りにする表現は無いのではないか。ちなみに、フランス語では「猫を猫と呼ぶ」イタリアとスペインでは「ワインをワインと呼ぶ」という表現があるそうだが、これはこれで生活において何が大事かについての国民性の反映と推測され、分かりやすい。とすると、エイゴ国民にはやはりスペードは大事なものなのだろうか。複雑で微妙な問題をはらむので、話題にする時は注意が必要だし、誤解を生む可能性がある以上、こちらからは使わない方が良いと思う。しかし、この言い回しは、突き詰めると深い話があるかもしれない。エイゴは、むずかしいね。(次号に続く) ファイナンス 2020 Jun.39新・エイゴは、辛いよ。SPOT

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