ファイナンス 2020年5月号 No.654
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子」という言葉の裏には、軍閥や馬賊のような抵抗できないような強い力にはとりあえず忍従するが絶対服従するわけではない、つまり面従腹背する底知れぬふてぶてしさがある。また、海賊に襲われるかもしれない海上輸送業に、頼りないジャンクで家族を連れて平然と携わり、心配しても軽減されない危険には徹底して無感動でいるたくましさがある。という趣旨のことが書いてあったように思う。そう考えてみれば、人と接する機会を減ずるよりほかにコロナウィルスに対抗する術がない以上、当面あれこれ考えずに、すなわち「無感動に」素直に家に籠ってひたすらテレビを観るというのも、一見受動的に見えるがふてぶてしくたくましい生き方といえるのではないか。と、わけのわからぬ自己弁護でまた話がそれてしまった。元に戻すと、テレビを観るといっても、ニュースと時代劇以外は観る気がしないので、ウェブ配信の映画をテレビの画面で観ることが多い。今日は午後から「ゴッド・タウン 神なきレクイエム」を観た。ウェブ上では、名優フィリップ・シーモア・ホフマン最後の主演作と紹介されている。映画や俳優に詳しくないが、観終わってみると、確かに名優だと思う。「ゴッド・タウン 神なきレクイエム」をご覧になっていない方のために、簡単に映画の筋を説明しよう。1980年代フィラデルフィア郊外のゴッズ・ポケットは、低所得者たちが暮らす生気のない町である。他所から流れてきたうだつの上がらぬ中年男のミッキーは、友人とトラックの積み荷を盗むような仕事で食べている。朝の食卓で、色っぽい妻のジェニーが地元紙を広げている。「ゴッズ・ポケットの男たちは単純だ。働き、野球を観戦し、結婚をして子供を持つ、町を出るものはいない。ほぼ全員が盗みの経験者で、子供の頃、人の家に放火。戦うべきときわれ先にと逃げ出す連中。イカサマが好きで親は子供を殴る。何があっても町を離れないし誰も変わることはない。町を出ることだけは、決して許されないのだ」。初老記者リチャードのコラムを読み上げて、「的を射ている」と言うジェニーに、ミッキーが「誰もが承知していることを書いて何が偉い?」とたずねる。ジェニーが「よそ者には分からないわ」と応ずる。ある日、ジェニーの連れ子であるチンピラのレオンが日雇い仕事の現場で殺される。黒人労務者にナイフをちらつかせて散々絡んだ挙句に、怒った相手に撲り殺されたのだ。職場の連中が犯人をかばった結果、嫌われ者のレオンの死は事故として処理される。レオンの葬儀のために近所の酒場の主人がカンパを集めてくれるが、だめ男のミッキーはもらった金を競馬ですってしまう。ミッキーは葬式の金策に走り回り、ドタバタを演ずる。一方ジェニーは、息子の死には隠された真相があるのではないかと疑う。しかし、調査取材にきたアル中で女好きのリチャードに口説かれ、あっけなく体を許してしまう…。すったもんだの葬儀の後、ゴッズ・ポケットの連中が酒場で呑んでいるところへ、リチャードが入ってくる。彼はコラムで「…レオンは典型的なこの町の男だった。顔は薄汚れていて学もなかったが、身なりには気を使う。彼らは働き結婚し、子供たちも町に住む。結婚後も実家を出ない。酒を飲む決まりの場所は町の場末のバーだ。そこでわかりもしないことを論じる。政治や人種差別、宗教について。最後には皆と同じように死ぬ。家族に家と思い出を残して死んでいく。それは威厳ある死だ」と、本人としては共感を込めたつもりの気取った文章を書いていた。当然歓迎されると思っていたリチャードだったが、町の連中からは「よそ者が馬鹿にしやがって」という怒声を浴びせられる。「ここは私の町だ」「あれは賛辞だ」と弁明するが、店の外に連れ出され、リンチを受ける。止めようとしたミッキーに、なじみの店主は「よそ者は黙れ」と怒鳴るのだった。小さな町の排他性のやるせなさと、見下した筆致で庶民に共感しているつもりの似非インテリ記者の悲しい滑稽さ。それらは程度の差こそあれ我々の周囲にもありそうなのだが、そうしたもののほろにがさを感じながら、ゴッズ・ポケットの退廃した雰囲気の余韻を楽しんでいたら、もう夕方である。このところ子供たちがテレワークとやらで暇を持て余しているものだから、今我が家はちょっとした料理ブームである。ちょっと油断すると台所を占拠されてしまう。台所が空いている今のうちだ。早々に豚挽肉の香菜風味蒸し物に取り掛かからなくちゃ。66 ファイナンス 2020 May.連載私の週末 料理日記

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