ファイナンス 2020年5月号 No.654
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安田銀行の出店は1892年(明治25年)、東北では福島、仙台、会津に次いで古い。この界隈の路線価は、図中の太線で示した肴町通りが高かった。江戸期以来の商店街で、今は菜園にある川徳百貨店が1875年(明治8年)以来、通りの角地に店を構えていた。当時は松屋百貨店もあった。県下唯一の全天候型のアーケードは1983年(昭和58年)にかけられたものだ。昭和の菜園、平成の盛南地区の開発もっとも盛岡市の最高路線価は肴町ではなく、盛岡城の向こう側「菜園飯塚洋品店南側通」にある(図2)道路の名前は「大通り」といい、図1つまり昭和32年の時点ですでに肴町通りの路線価を上回っていた。周辺一帯を大通・菜園地区という。南部藩の菜園を由来とする大通・菜園地区には岩手農学校と実習田があった。昭和初期、南部土地株式会社の開発を機に発展を遂げた。「五の字」の町割の中でこのエリアは碁盤の目だ。飯塚洋品店は東西の大通りとこれに直交する通称「映画館通り」の交差点の北西角にあった。通りを南下した元の青果市場に川徳百貨店が移転するなどその後も商業機能の集積が進んだ。盛岡城の東から西に中心地が移転した背景には、1890年(明治23年)の盛岡駅の開業がある。煙害を避けるように配置され、元々郊外の位置づけだった駅前だが、交通の主力が舟運から鉄道に移るに従って求心力を強めていった。1969年(昭和44年)、拡大した市街地に呼応して鉄道路線のさらに外縁を迂回するかたちで盛岡バイパスが開通。車社会化が始まった。ロードサイド店舗の出店が続く中、90年代には郊外に新市街地の開発計画が始動した。「ゆいとぴあ盛南」と称された盛南地区の計画面積は313haで2013年(平成25年)に事業完了。盛岡市中心市街地活性化基本計画でいう中心市街地が218haなので、その1.4倍ほどの街が川の南側にできたことになる。盛南地区には2006年(平成18年)に大規模モールがオープン。3年前に高速道路ICの下にできたモールと相まって商業の郊外化が加速した。肴町、大通・菜園地区を擁する中心市街地の売り場面積シェアは2000年前後まで30%近くあったがここ数年20%を割り込んでいる。市の調査によれば歩行者・自転車通行量も減少傾向だ。他方、中心市街地の居住人口は微増傾向にある。市の人口はここ5年減少傾向にもかかわらず、マンションの建設が進み街なか居住が増えた。最高路線価の位置は今も変わらず、2018年には26年ぶりに上昇に転じた。商業の郊外化は見受けられるも街の総合力はよく保たれている。歩いて楽しい街を念頭に城と川の風景を生かしたまちづくりが奏功したようだ。昨年、官民連携事業として北上川河岸の木伏緑地に芝生広場、公衆トイレそしてコンテナ店舗が整備されカフェや地産地消レストランが開店した。盛岡城跡公園の中津川に面する芝生広場の改装計画も進行中だ。近世城下町と近代の金融街による歴史の重層性はそのままに、より便利に快適に街の魅力が高まってゆく。プロフィール大和エナジー・インフラ 投資事業第三部副部長 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。2018年から現所属に出向中図2 広域図盛南地区奥州街道出所)国土地理院地図から筆者作成 ファイナンス 2020 May.51路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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