ファイナンス 2020年5月号 No.654
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スタッフに、子供が生まれた。産休明けで出勤した時に、彼女に聞いた。「男の子だってね。名前はJune? July?」2秒の耐えられない静寂があった。時が、止まった。しかし2秒経た後、Aprilは突然吹き出し、後ろを向いて激笑してくれた。上司の前でバカ笑いしてはいけないという慎みがそうさせたのであろう。これで、楽になった。彼女も、楽になった。(注1) Mayという名前はフィリピンには結構いるので、あえて外した次第。こういう配慮も必要であると、今なら誇らしげに言える。(注2) 当然、「部下が配慮して無理に笑ったのではないか。2秒は演技を決意するために必要だったのでないか」という空虚な解釈もあり得よう。しかしそれ以来、彼女も私も楽になったのは事実である。但し上司への尊敬の念の変化は別の話である。(3)今日も懺悔で楽になろうADBでは、クリスマスの頃に、Retreatと称して各部局ごとに近くのホテルの部屋に終日こもり、今後の業務の方向性等について議論を行うイベントがある。終了後のささやかな打ち上げで、懺悔・告白セッションがある。あるRetreatでは、「留置場に1晩お世話になったことがある」が2人、「ソ連軍の戦車を操舵したことがある」が1人、「かって舞台俳優で米国の劇場でレギュラー出演していた」が1人、「マニラの日曜の教会ミサのライブTV放送で、聖書を毎回朗読している」が1人。更に「実は錠前開けが趣味でどんな鍵も1分で開けられる」が1人。こういう告白をされると、突っ込んで聞いてあげなくてはいけない。特に何故留置場のお世話になったのか。1人はオーストラリア人の女性スタッフで、当時付き合っていた米国人の故郷に一緒に行った際、ささいなことで口論になり更につかみ合いになり、この男の故郷だったので多勢に無勢、彼女だけ警察に連行されたと言う。「もちろん、その男とは二度と会わなかった。最低よ。でも今は、」そう、彼女は同じADBのNZ人の優しい男と結婚して、幸せに暮らしてる。もう1人はカザフスタン人の男。ソ連製の戦車に乗ったことがあるのもこの男。ソ連崩壊直前に徴兵訓練を受けたとのこと。しかしどうして留置場に?「いや、陸軍にいてその夜は何かの理由で外出禁止令が出ていたんだけど、どうしても外に飲みに行きたくなって。こそこそっと外に出ようとしたら捕まって、懲罰牢に入れられた。」ソ連陸軍の規律違反??? 良い度胸だ。。。よくADBで規律を守れるなあ。「いや、あの頃は若かったからね。何でも出来ると思っていた。」こうして、我々チームはますます楽になった。特に、聖書をTV中継で朗読していたフィリピン人スタッフが、穏やかな笑顔で留置場の話を聞いていたのが、忘れられない。2毎日職場でエイゴ、エイゴ(1)分かってくれよ俺の気持ち意思疎通は、難しい。日本人同士でも時々難しいのに、他国籍の人と英語で分かり合うのは、時に、とてもとても難しい。ADBでは予算査定も私の仕事の1つであり、ある日予算担当の部下たちと議論していた時、「頼むから受け身の査定官庁になるのではなく、予算要求部局に対してこっちから対案を出すくらいの気持ちでやってくれ。頭を豆腐のように柔らかくしてベストな案を考えてくれ!」と、言いたくなった。しかし、日本で私をよく知る人間だけ辛うじて理解してくれるこの豆腐の表現を、フィリピン人、韓国人、ブータン人、NZ人の部下たちが分かってくれるだろうか?やってみた。言ってみた。Soften your brains for creative ideas. We need brains as soft as TOFU. またも、一瞬の静寂が必要だった。今度は、私の表現を各自が頭(脳)の中でビジュアルに咀嚼するために必要な時間だった。フィリピン人の予算課長(女性)が口を開いた。「なるほど。」彼女は息を吸った。そして柔らかに微笑みを戻して、言った。「そのTOFUレベルまで柔らかくするのはなかなか難しいですが、やってみましょう。」いやそこまで真面目に受け止めてくれなくても。それ以降、部下の間で「TOFU BRAIN」というのが流行り言葉になった。私が「それはちょっと形式的な考え方ではないか」と言うと、「すみません。TOFUが足りませんでした」と丁寧に返すようになった。日本で今ふと思うと、豆腐よりもう少し崩れにくい物の方が良かったような気もしないでは無い。 ファイナンス 2020 May.33新・エイゴは、辛いよ。SPOT

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