ファイナンス 2020年4月号 No.653
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京都市漬物など、輸入は綿布、ししゅう布、懐中時計、時計・宝石などです。【写真(1)】梅小路駅出張所3度重なる移転を経て税関出張所から税関支署へ梅小路出張所は、その後昭和27年7月に大阪税関京都出張所と改称し、さらに業務量の増加に伴う増員も見られ昭和30年8月には、今日の京都税関支署に昇格しましたが、その間国鉄の輸送力増強策の一環として梅小路駅の拡張の必要性が生じたため税関庁舎を国鉄敷地内から他拠へ移転させることとなりました。その移転先が決まるまで、昭和29年11月15日から、岡崎公会堂(京都市公会堂)前の進駐軍が使用していた教会堂(左京区岡崎最勝寺町)を臨時仮庁舎として一時使用することとなり、単独庁舎として新築移転するまでの間は京都税関のいわゆる「キリスト教礼拝堂時代」と言われ、約2年6か月続きました。もともと京都は1,000年を超える古都であり、市内に広い土地は少ない上、港頭地区のように土地の新造成もないことで庁舎敷地の選定は最初から非常に難航し、特に貿易業者、倉庫業者及び通関業者にとって利便性があり、かつ税関業務と職員の通勤に支障がない場所という条件では極めて難しいものでした。また、暫定的に入居した礼拝堂は平安神宮外苑の公園地帯内にあり、当初から京都会館建設予定地としてこの礼拝堂も取り壊しが予定されており、その利用は市当局の反対もあり、早急に移転する必要に迫られていました。【写真(2)】手前が岡崎公会堂(現京都市立美術館別館)と奥が京都会館(現ロームシアター京都)当初は京都市内北部など数カ所が移転候補地となりましたが、保税倉庫や通関業者は京都市の南部に所在していたことから反対意見があり、それを受け京都商議所貿易部会及び京都貿易協会が合同協議会を開いて、京都市交通局が市バスの折り返し駐車場として利用していた土地を希望する旨の決定を行い、その後京都市と財務局との間で国有地と市有地の交換交渉が行われ、昭和32年5月に移転(右京区西院上ル今田町)することとなりました。なお、西院時代においても昭和44年4月に完成した鉄筋3階建て庁舎への改築時にも約1年にわたり京都工芸繊維大学校内で業務を行いました。【写真(3)】西院時代改築後の庁舎その後、平成7年3月末に新築された京都第2地方合同庁舎(左京区丸太町)に移転し、令和2年で梅小路駅出張所から始まる京都税関の官署開設99年目を迎えますが、この間、太平洋戦争による業務の中断を挟み、業務量の変化や合同庁舎の新営などもあって、他の官署にはない計5回の移転を繰り返し、現在に至るまで貿易の目覚ましい進展に貢献しつつ大きく育ってきたのが京都税関支署です。74 ファイナンス 2020 Apr.連載各地の話題

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