ファイナンス 2020年4月号 No.653
66/86

私の週末料理日記その353月△日日曜日新々暖冬とはいえ3月の朝は寒い。唐の詩人は「小閣に衾を重ねて寒さを怕れず」と詠んだが、白楽天の香炉峰下の山居よりはるかに狭苦しい我が家で毛布と布団を重ねても寒い。北向きのあばら家とはいえ、やけに寒いぞ。目を開ければ窓が開いている。先に起きた家人がウィルス対策の換気と称して開けて行ったのだ。起きて近所のスーパーに出かけると、開店前から行列ができていて、ドアが開くやどっとなだれ込んでいく。はてと思いながら店内に入り商品棚を見渡すと、トイレットペーパーと米が売り切れだ。コロナウィルス対策でマスクや消毒液が売り切れるのはわかるが、何故トイレ紙や米が品切れになるのか。家の者が言うにはSNSとやらのご託宣らしい…。さて私は何を買うか。昨日は近所で外食したから今日は鍋物だ。どんな鍋にするか迷うところだが、手羽先が安い。手羽先でスープを取って、鶏の鍋にしよう。手羽先スープはガラスープに比べて手間がかからないのがいい。野菜は、博多水炊き風にきゃべつにする。帰宅して運動のため近所のゴルフ練習場に行く。張り切って出かけたものの、年配女性が美しいフォームでナイスショット連発の隣で、盛大にマットを叩いたり、球の横っ腹を痛打するのが嫌になって、早々にやめる。一旦家に帰ってから、散歩をかねて図書館に出かける。帰れば昼飯。手羽先を関節で切り離し、先端部はスープ用にして、太い方を味付けして焼く。その間に残り物の玉ねぎと人参と乾燥わかめで味噌汁を作り、冷ご飯を温めて、納豆を用意すれば、手羽先焼き定食の出来上がり。食べた手羽先の骨の部分はスープに使う。食べ終えたら、食器洗いの間に湯を沸かし、沸いたら手羽先の先端と骨を放り込んでぐらぐら煮る。夕食の下準備をして、鶏もも肉から外した皮を鍋に入れ、ねぎの青い部分やキャベツの芯なども投入して、煮続ける。一段落してコーヒーを淹れ、スーパーで買ったよもぎ大福を二つ食べ、図書館で借りた「がんこなハマーシュタイン」(ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー著、丘沢静也訳、晶文社)を読む。クルト・フォン・ハマーシュタイン男爵は、ドイツ帝国陸軍のエリート参謀将校として第一次大戦を戦い、戦後もベルサイユ条約下で極度に人員装備を抑制されたドイツ国防軍で昇進を続けた。1929年には軍務局長(事実上の参謀総長)に任じられ、翌年には大将に昇進して、陸軍最高司令官に就任した。因みにワイマール共和政時代に国防相・首相を務めたシュライヒャーとは、士官候補生時代からの親友であった。早くからナチに嫌悪感を抱いていたハマーシュタインは、1933年1月、ヒトラーの首相就任に際して、ヒンデンブルグ大統領にヒトラーを首相に任命しないよう働きかけたが、容れられなかった。しかし、軍を率いて非合法な実力行使によりヒトラーの首相就任を拒む強硬策には踏み切れなかった。内戦よりはナチの政権参加の方が害が小さいと考えたのである。彼は、陸軍最高司令官としてナチ政権と距離を保つよう努めたが、シュライヒャーに代わった親ヒトラーの国防大臣ブロンベルクの下で、次第に追い込まれ、同年12月に辞任して軍を退いた。「長いナイフの夜」事件でシュライヒャーが親衛隊に殺害された折には、将軍としてはただ一人葬儀に出席した。第二次大戦については早くから敗北を予想し、開戦の十年前から、今度大戦があればドイツは負けて分割されるだろうと漏らしていた。大戦勃発後1939年9月に現役復帰し、対仏防備の司令官に任じられたが、数週間で退役させられた。これに関し著者は、彼の守備領域にヒトラーが出張するよう仕組んで、その機に拘留する計画があったという62 ファイナンス 2020 Apr.連載私の週末 料理日記

元のページ  ../index.html#66

このブックを見る