ファイナンス 2020年4月号 No.653
62/86

とを荒川さんは声に出して、「そのためにはこれが必要なんだ」と言われ、必死に練習しました。最初は全く分からない状態で、ただただ言われるとおりにやっていました。そして、少しずつは打てるようになってきたのですが、やはり平凡な成績だったのです。荒川さんは「おまえはホームラン王になるんだ!三冠王になるんだ!」と言い続け、私の頭になかったことを目標に掲げてくださいました。それに従い、私も練習し続けました。練習で手が切れて血が出ました。足の裏からも血が出ます。しかし、こうした傷は治るのです。また、その練習の苦しさも忘れられるのです。ところが振ったバットの数、また、そのことで強くなる筋力、こうしたものは残るのです。だから練習をしないと打てるようにはならない。これは絶対にそうだと言えます。練習をしたからといって、打てるとは限りません。しかし、やらないと絶対にレベルは上がっていかないのです。それを荒川さんに教えられました。荒川さんの指導を受けた最初の頃は結果が出なかったので、「なぜこんな練習をしなければいけないのか」と考えたこともありました。しかし、だんだん打球が速くなり、打球の飛ぶ距離も増していきました。結果的に打率も良くなり、ホームランも増えていく。そうなってくると、「やはり練習はやらなければいけない」という気持ちが自分の中で生まれるのです。そうなってくるとしめたもので、「苦しい練習を乗り越えれば良い結果が出る」ということを実感することができます。しかし、ほとんどの人がそれを感じないまま、野球人生を終えるのです。私は恵まれていて、まだ22、23歳の頃にそういう環境に置かれて体験することができました。そのことで練習は当たり前のことだと思い込むことができたのです。荒川さんと出会ってから18年間、本当に毎日のようにバットを振り続けました。当時プロ野球界にいた人の中では、私が一番バットを振ったと自負しています。それぐらい練習することでプロ野球選手としての目覚めを味わったのです。そうなると、もっと、もっと、という気持ちが生じてきます。私はホームランを打った日でも決して余韻を楽しんだことはありません。寝床では、次に当たる投手がどういう攻め方をしてくるのかが気になるのです。今の時代のようにビデオはありません。しかし、「王が今日ホームランを打った」ということだけは相手に伝わります。例えば、翌日の試合が阪神の江夏豊投手との対戦であれば、江夏投手はこういうふうに攻めてくるだろう、前回の対戦ではこうだったから、こう攻めてくるだろうと布団の中で野球が始まるのです。それがまた楽しいのです。いつの間にか時間が経って、「よし、次は絶対にこうやろう」ということが自分の中で固まります。グラウンドに出る時も足が軽くて、「よし、今日も打つぞ」と思って試合に臨んだものです。ホームラン王になった後、学校の同窓会に参加したことがありましたが、以前とは扱いが違うのです。それまでは「おまえしっかり打てよ」と言われていたのが、「よかったな!」と肩を叩いて喜んでくれるのです。そばに寄って来なかった女の子もどんどん寄ってきてくれるのです。打つとみんなが喜んでくれるので練習にも身が入りました。この味を味わうまでが勝負だと私は思うのです。「よし、こうだ」と実感した人は強いと思います。5.選手に“気付き”を与える喜び我々の世界でコーチは「気付かせ屋」だと言われます。選手にどういう方向に向かうのかをアドバイスして気付かせてあげるのがコーチの仕事なのです。気付いた選手にはもう何も言わなくていいのです。選手それぞれの顔が違うように、それぞれの素質も違います。コーチも気付かせるのが仕事だと思うと、「Aという選手にはこう言おう、Bという選手にはこうだ」といろいろ勉強するのです。コーチ自身が選手時代どうだったのかはあまり考える必要はありません。選手に対してどういうアドバイスができるかということを考えると、コーチという仕事も楽しいのです。選手のようには注目されませんが、アドバイスをした選手が良い結果を出してくれると、こんなに嬉しいことはありません。自分が打った時の喜びとは別の喜びですね。また、コーチは朝から晩まで仕事しても選手のように給料は上がっていきません。しかし、ホームランを打たせることができれば、自分のやり方が正しかったということを密かに思い、そして、次の選手にももっ58 ファイナンス 2020 Apr.連載セミナー

元のページ  ../index.html#62

このブックを見る