ファイナンス 2020年4月号 No.653
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百貨店空白地から城下町の景観を生かした再生へ明治以来の中心地で長らく最高路線価地点だった七日町通りだったが、1975年(昭和50年)にはその座を山形駅前通りに譲ることになった。まずは七日町通りの発展を横目に山形駅前が猛追してきた。1971年(昭和46年)に十字屋百貨店が駅前地区に開店。その翌年には立体駐車場を併設したダイエーが進出した。1973年(昭和48年)に駅の向かいに山形ビブレの前身のニチイが出店した。もうひとつの背景は山形県庁の郊外移転である。庁舎の老朽化、業務量増大によるスペース不足、駐車場の確保などの理由で1975年(昭和50年)に3キロほど離れた郊外に移転した。さらに車社会化が追いうちをかける。90年代後半以降商業の郊外移転が加速した。1997年(平成9年)に中心市街地の北側、2000年(平成12年)には南側に2万m2クラスのショッピングモールが開店。それまでの商業勢力図を塗り替えた。南北の商業集積が七日町、駅前通りの中心商業地をはさみうちにする格好だ。山形自動車道が拡幅し仙台との往来も便利になった。山形県買物動向調査によれば、2015年(平成27年)における山形市世帯の買物流出先の2位が仙台市で流出率は5.4%だった(1位は通信販売の7.4%)。商業統計、経済センサス活動調査によれば市全体の年間商品販売額に占める中心市街地のシェアは1999年(平成11年)の21.5%から2014年(平成26年)は10.2%と半減した。七日町、駅前通りに4つあった百貨店もすべて閉店した。2000年(平成12年)に山形ビブレ、山形松坂屋、2018年(平成30年)には十字屋百貨店が撤退。最後まで残った大沼百貨店も今年1月閉店した。県庁所在地で百貨店がないのは極めて珍しい。大型店の撤退が続く一方、中高層のマンションが増えている。2013年には大沼百貨店の隣、以前ジャスコがあった場所が20階建てのマンションになった。丸久百貨店の店舗を引き継いだセブンプラザは2017年7月に閉店したが、跡地に20階建てのマンションが建つ予定だ。こうして、商業の空洞化をよそに中心市街地の居住人口はおおむね横ばいを保っている。2019年2月、山形市は中心市街地グランドデザインを公表した。現状を踏まえ「これまでの商業機能のみによる活性化だけではなく、居住、ビジネス環境、観光、医療・福祉・子育て、文化・芸術などの要素において、それぞれの魅力を向上させることによって、中心市街地の価値を高めていく」という方向感を打ち出した。七日町通りは「商業強化・居住推進ゾーン」と位置づけられた。「低層階を商業、中高層階を住居という開発により、更なる定住人口の増加策を展開」する。この戦略を象徴する官民連携のまちづくり事例がある。江戸時代、馬見ヶ崎川から取水し城下町の生活用水に使われていた5つの水路があったが、都市化の過程で大部分が暗渠化されていた。このうち流路が七日町通りを横断している御殿櫃を石積み水路の姿に再生。町屋風の商業施設を建て、前からあった蔵と合わせて一体的開発することで城下町らしい景観に仕上がった。これを「水の町屋 七日町御殿堰」という。2階建の建物内には、七日町で長年店を構えていた呉服店や茶舗、地元老舗のそば店、カフェなど個性的なテナントが入居している。セブンプラザ跡地に建つ高層マンションの隣地であり、新旧一体となった住まう街への再生が期待される。図2 中心市街地をとりまく郊外集積図1の範囲山形城址山形県庁郊外の商業集積郊外の商業集積山形自動車道至仙台山形駅出所)国土地理院地図から筆者作成プロフィール大和エナジー・インフラ 投資事業第三部副部長 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。2018年から現所属に出向中 ファイナンス 2020 Apr.55路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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