ファイナンス 2020年4月号 No.653
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三島通庸のまちづくりと七日町の賑わい山形県の県都で人口約25万人の山形市は、馬見ヶ崎川がつくる扇状地に開けた城下町である。図1は1965年(昭和40年)の市内中心部の路線価図で、最も路線価が高かったのは「七日町・梅月堂菓子店前通」だった。坪単価200千円以上を示すために囲んだエリアの南北の道路が当地のメインストリート「七日町通り」である。羽州街道の一部で、途中クランクしたところに「梅月」とある。これが梅月堂菓子店で、七日町四辻と呼ばれた交差点の南西角にある。ここから南に次の交差点までの道路が最高路線価だ。山形市のまちづくりの歴史に欠かせない人物と言えば初代の山形県令、三島通庸である。旧薩摩藩士で1876年(明治9年)に着任した。七日町通りの先に官庁街を造成し突き当りに県庁舎を配置。区画内に警察本署、師範学校、郡役所などを集めた。施工途中の1878年(明治11年)、イギリスの旅行家、イザベラ・バードが当地を訪れ、「県庁が本通りの一番上というほかより抜きんでた位置にあるので、日本の町としてはめずらしく引き立って見えます。県庁の高くて白い新庁舎が低い灰色の家並みの上に見えるのにはとても驚きました。山形の街路は広くてきれいです」(「イザベラ・バードの日本紀行」時岡敬子訳、講談社学術文庫)と評している。現存する旧県庁舎は英国近世復興様式のレンガ造りの洋館だが1916年(大正5)竣工の2代目で、県会議事堂とともに今は山形県郷土館(愛称・文翔館)となっている。国の重要文化財である。県庁から七日町通りを眺めると、まずは右側に市役所、次いで左側に山形銀行本店が現れる。1901年(明治34年)、前身の両羽銀行の時代から七日町四辻の北東角に本店を構えていた。七日町四辻を渡ると商業地に入る。南西角、最高路線価地点の名前にもなった梅月堂菓子店は1936年(昭和11年)の竣工で、建築家山口文象が若手時代に設計したモダニズム建築としても知られている。鉄筋コンクリート造3階建で、当初は2階以上が全面ガラス張りで2階が喫茶・レストラン、3階がホールとなっていた。梅月堂菓子店は90年代に閉店したが、「梅月館」として残る名建築には往時のカフェ文化の面影がある。図中、七日町四辻の少し南にある「丸久」は、1956年(昭和31年)に開店した丸久百貨店である。丸久のさらに南には「大沼」がある。1700年(元禄13年)創業の老舗の百貨店だ。丸久百貨店は1973年(昭和48年)に七日町四辻に移転。その後「山形松坂屋」と改称する。丸久百貨店が入っていた5階建のビルは山形初のファッションビル「セブンプラザ」になった。大沼百貨店の両隣にはそれぞれジャスコと長崎屋があった。このような具合で七日町通りは押しも押されぬ商業中心地だった。図1 山形の1965年(昭和40年)の路線価図*至秋田注)見づらい文字の補記及び*印の補記は筆者による54 ファイナンス 2020 Apr.540C560C610C620C400D400D400D570C630C660C650C550C610C600C420D420D400D400D400D410D410D410D420D440D390D390D390D320D320D370D340D970C275D290D270D870C850C870C900C870C360D360D500D730C510C510C810C490D1,090C1,200C1,410C1,380C1,520C1,620C1,650C1,560C1,570C1,510C1,720C2,100C2,240C2,210C2,160C2,350C2,390C1,900C1,500C1,430C1,130C1,150C1,500C1,550C2,600C2,550C2,430C2,310C1,730C1,080C255E295E240E320D275D470D470D540C路線価でひもとく街の歴史第2回 「山形県山形市」百貨店空白地からの七日町通りの再生連載路線価でひもとく街の歴史

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