ファイナンス 2020年3月号 Vol.55 No.12
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を全部回って、大ローマ帝国を再編成しました。つまり、カエサルとアウグストゥスとティベリウスが再編した大ローマ帝国をもう一度、メンテナンスしたのです。彼は、旅行に適した季節に辺境を回りました。まさに今問題が起こっているシリアとトルコの間まで回ったのです。しかし、気候が悪い冬になると、アテネに帰って、文化の振興や奨励などに注力する。つまり、違う仕事をするのです。それから、五賢帝の一人に哲人皇帝と呼ばれているマルクス・アウレリウスという人がいます。彼は、辺境の一つである今のウィーンあたりで戦いました。だから、日中はラテン語で指揮していました。そして、夜になって時間ができたら、今度はギリシア語で「自省録」という書物を書きました。このように、人それぞれでありますけれども、仕事と余暇を使い分けていたのです。私は、「24時間国のために」なんていうのは、非人間的だと思います。これをきちんと分かつ聖職者もいます。聖フランチェスコ宗派をつくったアッシジのフランチェスコです。彼は、自分についてきて修道僧の生活に耐えてくれる人は良いけれど、耐えられない人のために「第三階級」というものをつくったのです。つまり、普段はそれぞれ自分に向いた仕事をしてよいのだということです。聖フランチェスコ宗派を助けてくれるときは、フレスコ画を描いてその絵を送るといった方法でもよくて、それぞれがそれぞれの方法で聖職者を助けてくれればよいのだと言っています。だから、エリートはエリートらしく全て捧げるというのは、人間心理を無視したやり方であって、必ずゆがみが出てきます。(3)エリートとしての自覚私はエリートというものは、国にとって絶対に必要だと思います。魚というのは、頭から腐っていくのです。頭から腐り始めたらどんなに大衆が健全にやっていてもダメなのです。頭から腐ったらおしまいです。だから、その代わり、頭の部分は、自分たちは頭であるということを自覚して、それがどのようにしたら一番活用できるかを考える必要がある。在学中に司法試験に受かった、国家公務員試験総合職に受かったという人がエリートではありません。そのような世間の尺度なんていうものは、もう通用しなくなってきています。エリートというのは、自分が自覚しなければ本当のエリートではありません。だからこそ、今、本当の意味のエリートの自覚が求められているのです。そのことをよくよく考えてください。そうすれば、頭が腐らなくて済むのです。3.「政治」とは普通に考えることあなた方の役所は、「大蔵省」から「財務省」に名前が変わりましたけど、お金を扱っているところです。お金を扱うということはすぐれて政治的なことです。今や政治主導という言葉もありますが、「政治」は政治家だけがやるものではありません。あなた方の中にこそ「政治」があると思わなければなりません。「学」という字がつくと、法学でも政治学でも、これまでの過去のデータを基にします。ところが、まだ「政治」に「学」がつくものがなかった古代や中世、ルネサンス時代にどうして「政治」ができたのでしょうか。それは、「政治」とは普通に考えてやることなのです。「高度に政治的」という表現も、政治学者が考える政治学ではありません。皆さんの出身学部には法学部が多いと思いますが、私は法学もすぐれて政治的なものだと思っています。古代のローマではリベラル・アーツという一般教養、つまり歴史や音楽、天文学などがたくさんあるわけです。ところが法学はありません。なぜかというと、法学はいわば家庭での食卓のお話なのです。つまり、人間生活に密着した「学」なのです。だから、ここまで人間生活に密着したことが「学」になったということが少しおかしいと思うぐらいです。4.ポピュリズムの弊害私の著作はすべて、中国でも出版されています。『ギリシア人の物語』が出版されるとき、中国側から相談がきました。あの本の第一巻は「民主制のはじまり」、第二巻は「民主制の成熟と崩壊」ですが、その「民主」という言葉が検閲に触れそうで、少し具合が悪かったのです。それで、「民主」を「文明」に変えてくれないか ファイナンス 2020 Mar.55職員トップセミナー 連載セミナー

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