ファイナンス 2020年3月号 Vol.55 No.12
51/84

南スーダン:略史年月略史1899年英国とエジプトによる北部及び南部スーダンの共同統治。1955年南部スーダンの自治や独立を求め、武装蜂起が発生。第1次スーダン内戦勃発。1956年南部を含むスーダンが英国から独立。1960年代南部の分離独立を求める運動が拡大。1972年アディスアベバ和平合意が成立(南部スーダンに南部政府を設置し、部分的自治権を付与)。1983年第2次スーダン内戦勃発。2005年南北包括和平合意(CPA)が成立。2010年4月総選挙実施、バシール・スーダン大統領再選、キール南部政府大統領当選。2011年1月南部独立の住民投票実施。2011年7月南スーダン共和国独立。2013年12月首都ジュバにおいて大統領警護隊同士が衝突。2015年8月IGAD等の仲介により、衝突解決合意が成立(恒久的停戦や国民統一暫定政府設立等を規定)。2016年4月国民統一暫定政府設立(キール大統領、マシャール第一副大統領)。2016年7月首都ジュバにおいてキール大統領派とマシャール第一副大統領派が衝突。2018年9月再活性化された衝突解決合意に署名。2019年5月南スーダン関係者が暫定準備期間の6か月の延長に合意。2019年11月南スーダン関係者が暫定準備期間の100日間の延長に合意。2020年2月国民統一暫定政府設立(キール大統領、マシャール第一副大統領)。(出典:外務省HPより筆者編集)2.2 世界最大規模の人道危機2013年12月以降、長引く武力紛争により、約40万人以上が命を落とし、2019年12月末時点で約220万人の人々が難民として国外に退避しているほか、約150万人の人々が国内退避民(IDP, Internally Displaced People)として国内での移動を余儀なくされています。また、武力紛争の影響で農地は荒れ果て約550万人が食糧難に苦しんだり、性的暴力や虐待が蔓延し、水道・衛生施設・学校といった基礎的なインフラへのアクセスも遮断されるなど、世界最大規模の人道的危機*1が今でも継続しています。こういった状況に対処するため、米国や英国といったドナー国はこれまでに莫大な援助(独立以降、計約110億米ドル)を提供してきましたが、こうした人道的支援が政府軍または反政府軍によって妨害されることが常態化しているため、国際社会の中で南スーダンへの支援の在り方そのものを見直す動きが出てきています。*1) 2020年1月現在、約750万人(人口の約6割)の人々が緊急的な人道支援を必要としている。(2020年1月27日、European Civil Protection and Humanitarian Aid Operations)*2) 現地では、南スーダンの財務省や中央銀行、統計局、石油省のスタッフのほか、キール大統領、マシャール前副大統領をはじめとする反政府勢力代表者、ドナー国大使、国連機関、商業銀行など、幅広い関係者と協議を行った。南スーダン:難民避難先と国内退避(2019年12月時点)861,590810,917334,014119,79988,7171,470,000ウガンダスーダンエチオピアケニアコンゴ民主共和国国内退避(出典:UNHCR)(人)南スーダン:人道支援額(2011年-2019年)0.50.90.92.01.41.41.51.41.32019201820172016201520142013201220110.02.52.01.51.00.5(10億米ドル)(出典:UN OCHA Financial Tracking Service)3.IMFとの関わり南スーダンは2012年4月にIMFに加盟しました。加盟以降、IMF現地駐在代表(Resident Representative)がIMF現地事務所を運営していましたが、2016年7月の武力衝突の際に国外退避して以降、現在に至るまで空席となっています。現在、南スーダンはIMFのプログラム支援は受けておらず、サーベランス国として、4条協議やスタッフビジットといった形で定期的にIMFミッション団との協議を行っているほか、各種の技術支援(TA, Technical Assistance)を受け入れています。2016年7月の武力衝突以降、IMFスタッフの現地への渡航は停止され、南スーダン当局との協議はエチオピアやケニアといった近隣国で行われていました。2018年9月の衝突解決合意以降は現地への渡航が再開され、私はこれまでに3回現地へ渡航し、当局との協議に参加してきました*2。 ファイナンス 2020 Mar.47海外ウォッチャーFOREIGN WATCHER連載海外 ウォッチャー

元のページ  ../index.html#51

このブックを見る