ファイナンス 2020年3月号 Vol.55 No.12
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巻頭言人生100年時代の 雇用と個人の可能性株式会社Deportare Partners代表取締役/アスリートブレーンズ代表為末 大お正月の風物詩である実業団駅伝の裏側で、長らく選手を苦しめたルールがあった。選手が他のチームに移籍する際、前所属チームの監督が発行する円満証明書が無いと無期限で移籍先の登録が認められない、というものだ。元々は選手の引き抜きを防ぐものだったが、現在ではコーチと合わなくてチームを辞めたが円満証明書が出ないためにそのまま引退した選手や、円満証明書を理由に選手にハラスメントが行われるなどの問題が起きている。今年、このルールが変更され、最長でも一年に軽減された。無期限だった以前と比べると随分状況は改善された。一歩引いてみて、一体なぜこのようなルールが存在していたのか、そしてどうしてルールが変更されたのかは、日本における雇用期間の変化と関係があるように思えて興味深い。戦後の日本型組織では、文化への適応や忠誠心が重視されたので終身雇用が前提だった。終身雇用モデルの良い点は文化の継承が容易で、また社員の一体感も生まれ意思疎通が図りやすい。終身雇用モデルにとって企業スポーツはアイコンとして社員の一体感を醸成するために相性も良かった。参考までに企業スポーツという仕組みは世界中で日本にしかない。終身雇用が前提の組織ではトレーニングと成果を出すまでの期間を比較的長く取ることができる。この時代に頻繁に移籍を繰り返すと育ててもらって恩返しもせず去っていくので、組織からするといい所取りに見える。だから、一定期間在籍しないと収支が合わないという点で移籍に制限をかけることに合理性がある。また、社会全体がそうなのでそもそも移籍も転職も少なく、それを前提にしたルールも必要なかった。実業団の移籍問題は長らく陸上界にあったが、選手以外誰も本気で問題視しなかった。ここにきて急に流れが変わったのは、経済界が実質、終身雇用の終焉を宣言したことに影響を受けていると思う。もし終身雇用がなくなり転職が当たり前になるなら、育てる責任と成果を出すことの時間軸は大きく変わる。以前は育てる責任は企業にあり長期間で社員を育てていたが、終身雇用ではなく一定期間の契約関係になれば、成果と報酬が即時で連動する。自分を育てる責任は個人に変わり、企業とは成果を出すことにおいての対等な関係になる。そうなると、いつ社員が入っても、いつ社員が辞めても双方にとってフェアだ。移籍に制限をかける正当な理由もない。20歳あたりの若者に会うと、そもそも会社に面倒を見てもらうという発想がない。その前提で自分がどう生き残ればいいかを考えて相談に来る。この世代の人間は組織が安定して発展している場面をほとんど見ていないので、なぜ不安定な組織に自分の人生をかけるかが理解できない。だから移籍制限のような考えがわからない。移籍制限は一つの事例でしかなく、背景にある大きな流れは終身雇用制度の終焉であり、個人を育てる責任を個人が負う時代の到来だと私は思っている。アスリートの引退後を見ていると希望が湧く。人生の殆ど全てをスポーツに捧げてきた人間が、次の人生に踏み出す時、不安に襲われる。それでも日々を過ごしていくうちに、選手たちはなんとか自分の夢や役割を見つけて頑張り始める。現役時代ほどの名誉や収入は得られないかもしれないが、新しい人生を気に入って幸せに生きている選手も沢山いる。選手たちの姿を見ているとセカンドキャリアは辛い出来事には違いないが、決して不幸せなことではないと思う。人生100年時代において、人間は沢山の仕事や組織を渡り歩いていくのだろうと思う。一つの組織に勤め上げるモデルの終焉は、戸惑いを生むが、一方で個人の可能性を解放してくれる可能性もあるのではないか。ファイナンス 2020 Mar.1財務省広報誌「ファイナンス」はこちらからご覧いただけます。

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