ファイナンス 2020年3月号 Vol.55 No.12
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社会にはなっていない。商店街がおおいに繁栄していた時代だ。立町通りはその後約20年にわたって最高路線価地点の地位を保った。七十七銀行石巻支店も橋通りから立町通りに移転している。その後、1995年(平成7年)に最高路線価地点は駅前通りに移る。その翌年、河岸にあった丸光百貨店が石巻駅の向かい側に商業ビルを新築し「石巻ビブレ」に名前を変えて移転した。石巻初のシネコンが最上階にあった。ロードサイド集積を経て街の中心は 石巻河南IC前へ街の中心が駅に移転した90年代は新興のロードサイドが発展した年代でもある。兆しは80年代にもあった。路線価図に石巻バイパスが載ったのは1981年(昭和56年)である。その翌年、広い駐車場のイトーヨーカドーが開店しロードサイド集積の拠点となった。沿道には家電量販店、大型書店が軒を連ねた。93年をピークに路線価が下落に転じる中、バイパス沿いは比較的堅調に推移した。90年代の後半、軽自動車の普及もあって乗用車が一家に2台あるケースが珍しくなくなった。石巻では1998年(平成10年)に三陸自動車道の延伸開通を機にIC周辺の蛇田地区が発展した。開通に先立つ2年前にイトーヨーカドー石巻あけぼの店が開業。店舗面積11,702m2は当時市内最大のロードサイド店舗の2倍を上回る。2006年(平成18年)には基幹病院の石巻赤十字病院が移転。その翌年には店舗面積33,686m2のイオンモール石巻が開店し、市内最大記録を塗り替えた。商業、医療など都市機能が集積し、2012年(平成24年)には石巻河南IC前の路線価が駅前を抜き最高路線価となった。他方、旧来の中心市街地は衰退に歯止めがかからず、駅前にあった石巻ビブレが2008年(平成20年)に閉店。商店街のシャッター街化も進んでいた。2011年(平成23年)の東日本大震災で衰退に拍車がかかる。70~80年代に隆盛を誇った立町通りのアーケードは2015年(平成27年)に撤去された。元々の中心市街地は住まう街に回帰地方の中小都市ほど顕著だが、街の中心は駅前、バイパスそして高速道路IC前に変遷する。背景には交通手段の変化がある。商業の新業態は摩擦を避け既存の街の外側にできるという事情もある。石巻はまさにその典型だが、元々の中心市街地も役割新たに再生の兆しを見せている。市は2015年1月に策定した活性化基本計画を昨年改訂。集客施設を開発して来街者を増やす戦略から、歩いて暮らせる街を念頭に生活に必要な機能を集約し居住人口を増やす戦略に転換した。復興もあってここ数年中高層住宅の新築が続く。橋通りといえばかつて七十七銀行があった場所に12階建のマンションが昨年竣工した。下階の商業フロアには元の商店街の老舗が入る。駅を降りて目に入るシャッター街は淋しいが、それは街一番の繁華街だった記憶があるからだ。住まう街としてなら可能性は十分ある。駐車場が少ない、車が入りづらい点も商業立地としては不利だが住まう街には有利だ。免許を返納する高齢者が増えれば歩いて暮らせる街の価値が高まる。元々歴史的な街は人間サイズの街だったはず。住まう街への転換はその街の本来の姿を探求することに他ならない。図2 最高路線価地点は1から4の順番で移転した中心市街地4 1 2 3 蛇田地区=新たな中心図の範囲駅前通り立町通り橋通り石巻工業港曽波神線通り商工会議所西内海橋(最高路線価)*橋通り*警察署東北館*東北電力*-立町通り-出所)©OpenStreetMap contributorsプロフィール大和エナジー・インフラ 投資事業第三部副部長 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。2018年から現所属に出向中 ファイナンス 2020 Mar.45路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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