ファイナンス 2020年3月号 Vol.55 No.12
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て先物は低めにプライシングされます。このことは先物と先渡の価格差(ベーシス)を生むことになります。この点は先物と先渡の価格差を生むメカニズムとしてデリバティブのテキストで最初に指摘される論点です(両者の違いについて測度の観点で議論するテキストもあります*5)。もっとも、筆者の意見では日本国債市場の実務家の中でこの違いを重視する者は少ない印象です。円債市場については日銀の低金利政策により、他国に比べて証拠金にかかる運用利回り・調達コストが低く推移しています。また、短期金利が安定的に低位に推移していることから、投資家が上記で記載した逆相関を意識する必要がない局面が続いていると見ることもできます。さらに、日本国債市場ではそもそも先渡取引が相対的に少なく、もし仮に先渡取引がなされたとしても、典型的には満期が2営業日から数週間などといった短期間であることも証拠金の影響が軽微であることの一因です。ハル(2016)でも、「満期が数か月のフォワード価格と先物価格との理論的な差異は、ほとんどの場合無視できるほど小さい」(p.179)と指摘しています*6。2.2.デリバリー・オプションのプレミアム服部(2020a,b)で指摘しているとおり、国債先物では、先物の売り手が残存7~11年の国債の中から好きな銘柄を受け渡すことが可能であるため、この受け渡しに係る選択権(オプション)を先物の売り手側が有していると見ることができます。服部(2020a,b)では7年国債*7を受渡することを前提に投資家の裁定行動を考えてきましたが、あくまで売り手は残存7年~11年の国債を受け渡せますから、受渡する銘柄が残存7年の国債ではなく、たとえば残存7.25年の国*5) 先物と先渡のプライシングの違いは、先物がリスク中立測度で評価している一方、後者はフォワード測度で評価していると見ることもできます。詳細は村上(2015)などを参照してください。*6) ハル(2016)では先物契約と先渡契約を同じと仮定できないケースとしてユーロドル先物を挙げています。ファイナンスのテキストでは特に金利先物の文脈で、先物と先渡のプライシングに係る調整を「コンベキシティ・アジャストメント」ということがあります。1990年代半ば頃まで、この論点が認識されていなかったため、金融機関が裁定取引を行うことで利益を上げた時期があり、この経験をうけてコンベキシティ・アジャストメントが加えられるようになったという指摘もあります。詳細は村上(2015)などを参照してください。*7) 本稿では記述の煩雑さを避けるため、受渡適格銘柄の中で最も残存7年に近い10年利付国債を「7年国債」と記載します。*8) 例えば、7年国債のクーポンが受渡適格銘柄の中で相対的に低く、現物価格が変わらない場合、7年より年限の長い受渡適格銘柄のCFが大きくなることで、7年以外の銘柄がチーペストになる可能性はありえます。*9) このような観点でデリバリー・オプションを計算している代表的な研究としてHegde(1988)があります。Hegde(1988)は同手法が良い点として、金利プロセスに対する仮定が相対的に少ない点、また、米国の先物にはクオリティ・オプションおよびタイミング・オプションという複数のオプションがある中で、一つのフレームワークでデリバリー・オプションの合計値を計算できる点を挙げています。逆に同手法の弱い点としては、デリバリー・オプションの価値が市場価格に反映されていることを仮定してしまっている点を挙げています。*10) Hemler(1990)では2つの金利モデルによりクオリティ・オプションを推定するとともに、実際にオプションが行使された時に得られるペイオフからオプションの価値を推定しています。同論文の主張はそれまでの先行研究(Kane and Marcus 1986)に比べ、クオリティ・オプションの価値は小さいというものです。詳細は同論文をご参照ください。*11) 学術研究ではデリバリー・オプションに関する推定は膨大になされており、本稿が紹介している論文はその一例にすぎません。例えば、Kane and Marcus(1986)は金利モデルを推定したうえで、モンテカルロ・シミュレーションを用いてクオリティ・オプションを推定しています。また、Hegde(1990)はチーペストが変化することに伴う事後的なリターンを計算することでクオリティ・オプションの価値を計算しています。債になる可能性はゼロではありません*8。このように現物の受け渡しに係るオプションをデリバリー・オプションといいますが、このオプションのプレミアムがベーシスを生む可能性はありえます。ファイナンスの学術研究では特に1980年代後半から1990年前半にかけて国債先物の中に含まれるオプションの分析が活発になされました。前述のとおり、先物の売り手がオプションを持つわけですから、先物のショートを含む「現物ロング+先物ショート(ロング・ベーシス)」はデリバリー・オプションを有するポジションです。もし仮に先物と先渡の間に十分な裁定が働いており、かつ、前節で言及した証拠金の影響を無視できるとすれば、ネット・ベーシス(先渡価格―先物価格×CF)をデリバリー・オプションのプレミアムと解釈することができます*9。一方、オプションのモデルとして有名なブラック・ショールズ・モデルと同様、資産価格の動きに一定の仮定を置くことでデリバリー・オプションを推定するというアイデアもあります。学術研究であればジャーナル・オブ・ファイナンス誌で発表されたHemler (1990)*10が代表的な研究ですが、Huggins and Schaller (2013)のように実務家を対象とした債券のテキストでもシンプルな金利モデルを用いてデリバリー・オプションをどのように評価するかについて言及がなされています*11。もっとも、日本国債先物の場合、チーペストは7年国債であることがこれまでほとんどであることから、デリバリー・オプションが意識されることは稀というのが筆者の実感です。このことをサポートする実証研究もあります。例えば、Lin et al.(1999)は米国の先物などとは異なり、日本国債先物には受渡のタイミングを選べるタイミング・オプションがないため、受38 ファイナンス 2020 Mar.SPOT

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