ファイナンス 2020年3月号 Vol.55 No.12
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した。公的年金制度を含む社会保障は、1951年に「中華人民共和国労働保険条例*8」によって都市部の就労者を対象にスタートしたが、当時の計画経済の下では就労者は全て国有企業に所属し終身雇用が確保されていた。そこでの社会保障は、企業が従業員とその家族の生活を全般的に保障するという、いわゆる福利厚生に近いものであった。その後、経済体制が市場経済へ移行する中で、国有企業の終身雇用の前提は崩れ、就労形式も民間企業や自営業などへ広がった。これに伴い、都市部の就労者に対する年金(を含む社会保障)は、国有企業以外の就労者にも範囲を拡大していき、企業が提供する保障から政府による社会保障へと形を変えていくことになる。中国の公的年金が就労の有無により制度が分かれており、特に都市部の就労者に対する制度が優先的に段階を経て整備されたのは、その制度が計画経済下の国有企業からスタートし市場経済への体制変化に沿って形成されて来たということが背景にある。(ウ)公的年金制度運営における地方政府の裁量中国の公的年金制度は、中央政府が基本的な方針・枠組みを国務院からの通達といった形式で全国に伝達し、地方政府がそれを受けて各地域の実情を踏まえた上で制度を実施している。また、制度変更の際、場合によっては一部のパイロット地域で先行的に実施した後に全国に展開されることもある。こうした方法が採られた結果、各地域における公的年金制度は、中央の方針に沿った範囲であれば、地方政府によって保険料率や給付内容等についてある程度自由に設定することが可能となっている。そのため、実際に地域によって細かい制度内容が異なっており、これが現在の中国の公的年金制度における大きな課題である地域間の格差を生じさせる要因のひとつとなっている。(4)中国の公的年金制度の変遷ここでは、中国の公的年金制度の変遷を大まかに説明する。前述の通り、1951年に都市部の就労者を対象に始まった公的年金制度は、まずは都市部の就労者に対して優先的に整備されて来た。計画経済体制下に*8) 年金の他、疾病、労働災害、出産等の保障も含まれた。おいては、断続的に対象範囲の拡大や細かい制度の変更などが行われてきたが、企業による保障という基本概念に変化はなく、費用も全て企業が負担して来た。1978年の改革・開放により市場経済へと体制が変化するに伴い、1986年に国有企業で一部個人による保険料負担が導入され、1991年にはその他の企業等でも個人負担が開始し、社会保険の性質を持つ制度へと変化していった。その後、国務院から1995年の「企業従業員の養老保険制度の改革を進化することに関する通知」及び1997年の「統一した企業従業員の基本養老保険制度の確立に関する決定」が発表され、現行の都市部の就労者を対象とした「都市職工基本養老保険」と同様の、基本年金基金と個人勘定からなる2階建ての仕組みとなった。一方、農村住民や都市部の非就労者に対する公的年金制度は、都市部就労者よりもかなり遅れて整備された。農村住民に対しては1992年に個人積立を基本とする制度として開始し、2009年に国庫負担が追加された。その後、2011年に都市部の非就労者に対する制度が農村住民の制度と類似した仕組みで開始され、制度上は全ての人を対象とした公的年金制度が整えられた。2014年には農村部と都市の非就労者に対する制度が統合され、現行の「都市・農村住民基本養老保険」となった。ここまでの都市就労者、農村部及び都市非就労者を対象とする制度の他に、もう一つ公務員を対象とした制度がある。公務員に対する公的年金は1955年に財源を全て政府拠出で賄う制度として開始した。1958年には企業の就労者に対する制度と一度統合されたが、1978年には再び分離されている。2015年には、他の制度に比べて個人負担が無い点や給付水準が優遇的であるという指摘に対応して「都市職工基本養老保険」と同様に個人負担を含むものに変更され、現行の「公務員養老保険」の仕組みとなった。ただし、職域加算分として「職業年金」が上乗せされており優遇的な要素は残されている。(5)中国の公的年金制度の概要現行の中国の公的年金制度は、都市部の企業就労者32 ファイナンス 2020 Mar.SPOT

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