ファイナンス 2020年2月号 Vol.55 No.11
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山鹿様式を今に伝えています。見上げれば天井を鮮やかに彩る旦那衆たちの店の広告の再現や大型の真鍮製のシャンデリア、ほのかな灯りをともす提灯など、明治から続くロマンを感じさせる空間を味わえます。「八千代座」は、「さくら湯」と並ぶ中心市街地の2大シンボルです。「八千代座」外観「八千代座」内観〔山鹿灯篭まつり〕和紙だけで作られる「山鹿灯籠」は、平成25年12月に『国指定伝統的工芸品』の指定を受けました。毎年、8月15・16日に開催される「山鹿灯籠まつり」では、頭に金灯籠を掲げた浴衣姿の女性たちが、ゆったりとした情緒漂う「よへほ節」の調べにのせて優雅に舞い踊る「千人灯籠踊り」があり、幾重にも重なる灯りの輪が、見る人を幻想的な世界へと誘います。〔チブサン古墳〕山鹿市は、「チブサン古墳」に代表される数多くの装飾古墳群や邪馬台国時代の県内最大の集落遺跡である「方保田東原遺跡」、大和朝廷によって築かれた「鞠智城」など、多くの国指定史跡を有しています。「チブサン古墳」は、古墳時代後期(今から約1500年前)に造られたお墓です。古墳は前方後円墳で、その内部に割り石を積み上げて造られた部屋(石せき室しつ)があります。その石室の奥に石の棺おけ(石せっ棺かん)が置かれています。石棺の壁には赤、白、黒の三色で、丸や三角、菱形などの図が描かれています。保存状態がとても良好で、日本の装飾古墳を代表する古墳の一つです。〔鞠きく智ち城じょう〕「鞠智城」は今から約1300年前に、大和朝廷が築いた山城で、全国でも珍しい八角形の鼓楼が特徴です。当時、東アジアの政治的情勢は、非常に緊張していました。日本は、友好的であった百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の「白村江の戦い」で、唐と新羅の連合軍に敗北しました。このため、事態は急変し、直接日本が戦いの舞台となる危険が生じました。そこで九州に、大宰府を守るために大野城(福岡県)、基肄城(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られました。鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした。82 ファイナンス 2020 Feb.連載各地の話題

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