ファイナンス 2020年1月号 Vol.55 No.10
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わち、その後、「30大雇用」までに至るストーリーの始まりとなるのです。実は、この人たちが想定外の人たちだったのです。私は学生時代、外資系企業サラリーマン時代ともに、同じような人たち、ゼネラリストといわれる、結構均一に何でもできる全体の上位10%ぐらいの人たちと一緒にいました。しかし、世の中にはこの上位10%の人たち以上にすごく頭が良いのに、コミュニケーションが取れない人もいるのです。そうしたアンバランスな人が障がい者だったり、就労困難者だったりするのです。そうした人たちが35%いました。これは面接では分かりませんでした。例えば、私が話をしている目の前で寝てしまう人がいます。想定外だからびっくりする、びっくりすると人間は受容できなくなるのです。しかし、そういう人を病院に連れていくと、ほとんどの場合に病名があるのです。病気だと認知することで相手を受け入れることができるようになります。私の場合、最初から障がい者雇用を実施しようとしたわけではありません。起業した当初は、経験者を募集したのですが、全く来てくれない。そこで、方針を変更して無知識・未経験者を募集することにしたのです。そうするとたくさん来てくれました。これは嬉しかったです。その人たちを何とか生かさなければならないと思い、いろいろ取り組んだのがきっかけです。仕事中どこかに行ってしまう人、一か所にとどまっていられない人などがいるのですが、全て病名が付くのです。お客さんにはそうした事情を説明して理解をいただくことにしています。今では、我が社はそういう方々を雇用していることをお客さん側も承知しています。だから仕事はやりやすいのですが、当初はお客さんに理解していただくために、1件1件説明に回らなければなりませんでした。(4) 「5大採用」から「10大雇用」へ – 哲学の教え「30大雇用」の最初の「5大採用」が我が社のスタートです。採用後に想定外の人だったと分かることもありましたが、障がいの特性をちゃんとつかんで相手に対して会社が合理的な配慮をすれば、だれでも働くことができることを私は理解しました。そして会社も伸びて、従業員が1,000名になりました。そこで、次に能動的な「雇用」を始めたのです。最初からそういう人を募集して雇ってみようと思いました。「5大採用」のとき、中野区から声がかかりました。当時の中野区長がマニフェストの中で「障がい者雇用の会社を誘致する」と掲げており、私たちの会社に白羽の矢が立ちました。そこで私は中野区で、障がい者雇用を始めました。そうすると、ホームレスの団体や引きこもりの団体などの社会的課題に取り組んでいる団体が「中野区で面白いことをやっている。見に行こう。」とバスで見学に来るのです。私の方も中野区の施設を安く使わせていただいていたので、貢献するつもりで説明会や見学会を開催したところ、見学に来たいろいろな団体の方から「ホームレスや引きこもりの人たちの就職先が全然なくて困っています。」と、切実な問題を投げかけられました。その時、私はこういう社会的課題があるのだと初めて気が付きました。就職に苦労しているのは障がい者だけではないのです。こうした課題を突き付けられ、実際に様々な体験をすることで、自分は大変狭い所にいたということを実感しました。また、いろいろな人と接触する体験を通じて他人を許す気持ちも生まれてきました。私にとって、「5大採用」から「10大雇用」に移るポイントは盛和塾で学んだ哲学でした。もし哲学をやっていなくて利益を追っていたら、「5大採用」でアイエスエフネットグループの「30大雇用」(※ アイエスエフネットグループでは、障がいのある方を「未来の夢を実現するメンバー」として「FDメンバー(Future Dream Member)」と呼称)43 ファイナンス 2020 Jan.連載セミナー

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