ファイナンス 2020年1月号 Vol.55 No.10
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財務総合政策研究所Ministry of Finance, Policy Research Institute1.はじめにみなさんこんにちは。私は2000年1月に会社を設立しました。業務内容は、IT及び障がい者の雇用創造です。ほかに障害者総合支援法に基づく障がい者の就労支援も行っています。我が社では障がい者などの就労困難者を対象にした「30大雇用」というものに取り組んでいます。こういった人たちを雇用しながら会社は成長しています。今では、新卒で約200人、全体では2,600人が在籍しています。また、国内の拠点は約20か所、海外は4か国にあります。そう考えるとこれまでの就労困難者の雇用などの取組みを行ってよかったと思っています。しかし、実は、最初からそういうことをやろうとしたわけではなく、途中から方針が変わっていったのです。本日の私の話が皆さんにとって参考になれば幸いです。2.起業のきっかけ私は、子供の頃から化学が好きで、化学の道に進みたいと考えていました。また、私の父親は、個人事業主として仕事をしており、とても楽しそうに働いていました。自分で全部決めて自分の責任で商売をやっていくわけです。私は、子供の頃からそうした父親の姿を見て、これは面白いと思い、事業というものに興味を持ったのです。そういった少年時代を過ごした私が起業しようと決心したきっかけは、1984年、20歳のときの沖縄旅行です。一人で沖縄に旅行しようと計画して、沖縄で多くの人との触れ合いを通じて、縁ができたなら起業しようと思いました。その結果、沖縄旅行を通じて多くの友人ができて、そして自信を持って起業しようというという気持ちになり、「自分が36歳になる2000年になったら会社をつくろう。」と考えました。3.起業までの歩み(1)10年間のサラリーマン時代何も知らずに起業することはリスクが高いので、10年間はサラリーマンとして働こうと決めて、ディジタル・イクイップメント社(DEC)という外資系企業に就職しました。その当時IBMや富士通が1台10億円くらいの大型コンピュータを売っていましたが、それを3億円ぐらいのものにダウンサイジングしたミニコンピュータをつくって成長していたのがDECです。この10年間で様々なことを学ばせていただきました。私は、起業すること自体は決めていましたが、起業して何をやるのかについては、サラリーマンとして働く10年間のうちに決めようと考えていました。そうしたときに、その当時はまだ日本で始まったばかりのインターネットに出会いました。インターネットに関する事業をやっていく中で、「オープン」という新しいキーワードがIT業界をどんどん変えていくことに気が付きました。まず、ダウンサイジング、すなわち10億円のコンピュータが同じ性能で3億円、4億円でどんどんリプレイスされていく。そして、次には、自社のものしか使えない「クローズ」から「オープン」へ、すなわち、通信で他の製品も使えるようになる、人にやさしい環境になり利他の令和元年9月24日(火)開催上級管理 セミナー渡邉 幸義 氏(株式会社アイエスエフネット代表取締役)私の経営実践演題講師41 ファイナンス 2020 Jan.連載セミナー

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