2019年12月号 Vol.55 No.9
9/84

を設置し、預金部資金の運用、会社経理統制、国有財産管理を担当する財務局出張所が新たに設置されることとなった。昭和20年5月には本省に金融局が設置されたことにより、財務局の所管事務も見直され、金融機関の検査・監督が財務局の業務に加えられた。終戦後、旧陸海軍所属の膨大な国有財産の扱いが問題となり、昭和20年8月22日に「戦争終結に伴う国有財産の処理に関する件」の閣議決定が行われ、同年9月に本省に臨時国有財産部、財務局に国有財産部が設置された。また、従来からある出張所に加え、旧陸海軍から引き継いだ財産を管理するために管財支所、管財出張所が設置された。これ以降、いわゆる戦後期においては、旧軍財産の処理が財務局における国有財産行政の主要課題となった。また、昭和21年には財産税が施行され、これに伴う物納財産の管理処分という新たな業務が加わるとともに、「金融緊急措置令」の施行事務、戦時補償打切りに伴う企業再建整備関係事務及び主計局の予算決算事務の一部を財務局が新たに分掌することとなった。昭和21年11月には、各県庁所在地に財務局地方部が設置され、税務署に併設されていた出張所の所掌事務は旧軍財産以外の普通財産の管理処分とされた。前述のとおり、財務局は税を含めた大蔵省の総合的出先機関となっていたが、昭和23年6月には「昭和23年度租税収入確保対策要綱」が閣議決定され、財務局から徴税部門を独立させて地方税務局を設置するという案が固められた。その後、昭和24年6月に大蔵省設置法が修正され、国税局を設置し、財務局の内国税の賦課徴収に関する事務を移管し、財務局はそれ以外に行政を担当することとなり、名称を財務部として現在の財務局が発足した(10財務部、42財務部支部、92出張所、33管財支所)。(2)昭和の財務局の役割昭和24年6月に発足した財務部は、翌25年に財務局に昇格し、財務部支部は財務部に改称された。財務局発足時は戦災復興の真っ最中であり、戦災を免れた老朽の旧軍財産や民間等からの借り上げによる建物を庁舎として利用していた。戦後インフレを克服し、サンフランシスコ講和条約の発行とその後の高度成長を迎える中、財務局では昭和35年から理財部に証券課が設置され、証券会社の経営の安定確保や投資者保護に資するため、証券会社の個別指導を行うこととなった。同じく、経済調査課が設置され、大蔵省の触角として地方経済等に関する調査を充実し、地域経済の動向に即した機動的な財政金融政策を展開しうる体制が整えられた。その後、昭和40年代前半まで続いた高度経済成長も終焉を迎え、2度のオイル・ショックがもたらした異常なインフレや不況によって、我が国経済は大きな混乱に陥った。このような経済社会の構造変化や混乱を背景に地域経済の安定がそれまで以上に重要な課題となり、財務局においても、例えば財政金融関係を所掌する理財部門では、主計、金融、証券、企業財務、地方財政、経済調査などにおいて、その守備範囲が急速に拡大していった。昭和49年には、財務局に財務広報官が設置され、50年代には財政の現状について広く国民に理解を得るための財政再建キャンペーン、次いで、60年代には税制改革の必要性等について国民各層の理解大蔵省福岡財務部(当時)の旧軍用財産・物納財産の管轄区域を示した掲示物。 ファイナンス 2019 Dec.5昭和24年に発足財務局70年の歴史と果たしてきた役割特集

元のページ  ../index.html#9

このブックを見る