2019年12月号 Vol.55 No.9
74/84

している。「神武以来の天才」と称された加藤は14歳で四段、18歳で八段に昇級し、20歳で名人に挑戦した。芹沢の24歳八段も素晴らしいのだが、高柳曰く、「天才芹沢」の挫折感は強烈なものだった。しかしながら、その加藤にしても名人位を獲ったのは、初挑戦から22年後42歳の時だった。棋界とはそういうところなのである。色川の言う天才同士の戦いの場なのである。藤沢は自著「野垂れ死に」の中で、自分は世間から「豪放磊落」といわれているが、そう思われるのは、神経が細かすぎて、それに自分で我慢できなくなって、暴走してしまうことが多かったからで、むしろ「繊細暴走」なのであって、そんな自分にとって酒は必要欠くべからざる安定剤だったという趣旨のことを述べている。こんなことをぬけぬけと書くあたりが、藤沢と芹沢の明暗を分けたところなのだろうか。あるいは単に、藤沢の方が肝臓が丈夫だっただけなのか。与太話の展開が、入院中に読んだ本の紹介から天才のプライド論に流れてしまったが、私が天才の挫折感や、繊細すぎるプライドをめぐる逸話に惹かれるのは、私がここまで、結果がすべての勝負の世界とは程遠いところに生きてきているからであり、世俗の垢にまみれて面の皮だけ厚くなっているからだろう。そして何よりも天才とは対極の人種だからだろう。私のような気楽な身分とちがって、天才は生きていくのが大変だろうと思う。天才とは程遠い私でさえ酒を飲まずにいられない晩もあるのだから、天才たちが酒を飲まずにいられなかったのはよくわかる。ともあれ傍で見ている分には、天才は素敵だ。まだ病後で酒が飲めないのは残念だが、酒を飲まずにいられなかった天才たちに敬意を表して、今夜の晩飯には酒飲み好みの一品を作るとしよう。〈材料〉 鰯4尾、長ねぎ1本(小口切り)、味噌(大匙4)、みりん(大匙2)、おろし生姜(大匙2)(1)鰯を流水で洗い、鱗が残っている場合は包丁で取る。腹をまっすぐ切って、切り口から内臓をかき出す。さらに流水でよく洗い、新聞紙の上に並べておく。(キッチンペーパーで水気を拭き、腹の中まで拭いておくとなおよい。)(2)刻んだねぎをボウルに入れ、味噌、みりん、おろし生姜を加えてよく混ぜ、4等分してスプーンで鰯の腹に詰める。(3)鰯に1尾当たり小匙半分程度の塩を両面に万遍なく振る。(4)鰯をロースターに並べ、所定の時間焼く。(5)焼きあがったら皿に取って食す。好みで、レモンなどを振る。* 鰯(マイワシ)は、一年中見かけるが、旬は5~10月である。春に北上し、秋に南下するので、秋の「下り鰯」の方が、脂がのって美味いと言われる。鰯塩焼きねぎ味噌風味のレシピ(2人分)70 ファイナンス 2019 Dec.新々 私の週末料理日記 その34連載私の週末 料理日記

元のページ  ../index.html#74

このブックを見る