2019年12月号 Vol.55 No.9
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私の週末料理日記その3411月△日土曜日新々先の入院中に悪友が「人生で大切なことは泥酔に学んだ」(栗下直也著、左右社)という本を差し入れてくれた。見舞いに来てくれた人から、「酒が飲めない状況なのにその本を読むのはつらくないですか」とたずねられたが、さにあらず。たしかに入院していると、ビールをあおる夢を見たり、小料理屋のカウンターで美人女将に酌してもらう場面を妄想することはあるが、本書に出てくる吞兵衛たちのような飲み方はさすがに遠慮したくなるので、問題ない。本書によれば、プロレスラーの力道山は、興行成功の祝い酒を朝から自宅で呑み、夕方から料理屋で呑み、さらに赤坂のナイトクラブで呑んだ挙句、やくざに因縁をつけて叩きのめしたが、その際にナイフで腹を刺され、これがもとで死んだ。詩人の中原中也は、酒乱で周囲に絡み、「殺すぞ」と言って評論家の中村光夫の頭をビール壜で殴った。「檸檬」で知られる梶井基次郎は、酒癖悪く、料理屋の床の間の懸物に唾を吐きかけて回り、杯洗で男の大事なものを洗って見せ、限りない狂態を尽くした。評論家の河上徹太郎は、70歳にして、当時警察が泥酔者保護のために設けていたトラ箱に留置され、2か月後に文化功労者を受賞した。同じく酒乱の評論家小林秀雄は、戦後すぐに、呑みかけの一升瓶を抱えたまま水道橋駅のホームから10m転落したが無傷で、駅で一晩寝かせてもらい、「実に気分爽快だった」とうそぶいている。小林には、しこたま呑んで自宅のある鎌倉に帰ったが呑み足らず、路地裏の待合に入るつもりで見ず知らずの他人の家に入り込んで酒を出せと騒いで、暴言を吐いたという逸話もある。プロ野球選手で、大酒飲みの強打者であったことから酒力打者と呼ばれ、「あぶさん」のモデルになった永淵洋三は、試合中に二日酔いで右翼の守備位置で吐いてしまったが、本書の登場人物の中ではまともな方だろう。囲碁の藤沢秀行九段は、37歳で第1期名人位を獲り、57歳で棋聖戦六連覇を成し遂げ、66歳で5度目の王座位を獲得して翌年も連覇した偉大な棋士であるが、アル中ながらも仕事で成果を出し続けた男として本書に登場する。30代の頃は一晩でウィスキー2~3本空け、40代でアル中になったが、賞金の高い棋聖戦前にはホテル監禁状態で酒を抜き、対局に臨んだという。著書「野垂れ死に」(新潮選書)の中で、「二時間も飲まないでいると全身が痙攣し、満足に碁石も持てない。それで棋聖戦の数ヶ月前になると地獄の苦しみで酒を断ち、きれいな体になってタイトル戦に臨み、防衛を果たすや否や、何も食わずに狂ったように酒を飲み続ける、ということを繰り返していた」と告白している。その私生活の滅茶苦茶ぶりは、酒、ギャンブル、借金、暴力、女性問題のいずれも何ともすさまじい。酒が入れば誰彼かまわず低能呼ばわりし、訪中して鄧小平と会見した際にも泥酔状態で、「(女性器の俗称は)中国語で何というんだ」と絡んだという。競輪・競馬に入れあげて借金は一時3億円を超え、3人の女性との間に7人の子がいた。50代で胃ガン、60代でリンパ腫、70代で前立腺ガンを患うが、アル中の平均寿命の52歳をはるかに超える83歳で天寿を全うした。リンパ腫の放射線治療の後遺症でひどい口内炎になり、以後痛くて酒が呑めなくなったのがよかったのかもしれない。その藤沢と仲が良かったのが、同じく呑む打つ買うの三拍子派の将棋の芹沢博文九段である。前掲「野垂れ死に」によれば、藤沢の11歳年下の芹沢は自身50歳の時に、二人の余命を「シュウコウ3年、オレ5年」と予言したが、翌年肝不全で亡くなった。晩年の芹沢68 ファイナンス 2019 Dec.連載私の週末 料理日記

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