2019年11月号 Vol.55 No.8
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の上昇からも便益を受けうる状況を想定すると、銀行によるモニタリングを受けることは、経営者にとって株式価値の上昇と私的便益の減少というトレード・オフを生じさせる*8。したがって、役員持ち株比率が高い企業の経営陣は、役員持ち株比率が低い企業よりも株主の利益に沿って行動するため、株式価値上昇に資する銀行借入を選択することとなる(「経営者の裁量」)。そのほか、銀行借入の持つ特徴として、企業が返済困難になった場合に、事業存続のために比較的容易に負債契約の変更交渉が行える点が挙げられる。銀行借入と比較すると、社債の場合は債権者の数が多いために、負債契約の変更が容易ではない。そのため、財務内容にリスクを抱える企業には銀行借入を選択する動機があると考えられる(「再交渉仮説」)*9。負債の特徴について考えると、負債契約は経営者に返済の約束をさせるため、経営者による非効率的な支出を抑制するとされる*10。また、負債のデフォルト時には経営権が債権者に移転してしまうリスクを抱えるため、経営者への規律付けがなされる*11。ここから、経営者が裁量的に使えるキャッシュフローが多いほど、経営者による非効率的な支出の抑制と、経営者への規律付けのために、株主が負債比率を高めようとすると考えられる(「フリーキャッシュフロー仮説(ガバナンス構造仮説)」)。また、負債については返済義務があることから、株式よりも優先的に収益の分配を受け取ると予想される。そのため、負債が多い場合、投資による収益が債権者に回ってしまうことを恐れ、株主が投資を行わない過小投資の問題が生じるとされており*12、成長機会が豊富な企業では負債の発行が抑えられると考えられる(「デット・オーバーハング仮説」)。最後に、企業の質が資金調達行動に与える影響を考える。企業のキャッシュフローに目を向けると、投資機会が豊富な一方キャッシュフローの変動が激しい企業は、将来的に手元の資金不足により投資機会を逸することを避けるため、予備的に現預金を保有するという動機があり、株式発行コストの低いタイミングで株式発行を行うと考えられる(「予備的動機に基づく現*8) Almazen and Suarez(2003)*9) Berlin and Loeys(1988)*10) Jensen(1986)*11) Aghion and Bolton(1992)*12) Myers(1977)*13) McLean(2011)*14) Diamond(1991)金保有仮説」)*13。また、返済実績が良く、資本市場での評判を確立しているような企業や、収益力の高いプロジェクトを持つような企業を質の高い企業と考えると、これらの企業は、公開市場から資金調達を行い、質が中程度の企業は借入を選択する。さらに質が低い企業の場合、銀行のモニタリングコストが便益を上回るために、社債発行を選択すると考えられる*14。2-2.既存の実証研究本節では、先ほど整理した理論仮説を踏まえ、企業の資金調達行動に関する先行研究をレビューする。1970年から1990年にかけて米国で株式発行を行った企業を対象として分析したLoughran and Ritter(1995)は、株式発行がその後のマイナスの超過収益率につながることを示唆している。これは、株式発行後に企業の収益が、投資家の期待する期待収益を下回ることを意味し、株価が企業本来のパフォーマンスを上回る評価を受けているタイミングで株式発行を行っている可能性がある。また、Baker and Wurgler(2002)は、米国上場企業を対象として、資本構成が過去の時価簿価比率によって影響を受けていることを指摘しており、これらはいずれも、資本構成がマーケット・タイミングによる株式発行と株式買入によって決まるとする「マーケット・タイミング仮説」と整合的な結果を得ている。Kim and Weisbach(2008)は、株式発行による調達資金の使途について分析を行っている。彼らは株式発行による資金調達によって、その後の投資、買収、研究開発のほか、現金保有が増加することを指摘しており、「予備的動機に基づく現金保有行動」を示唆している。また、彼らは時価簿価比率の高い企業ほど現金保有に向かう割合が高く、また既存株式の売却割合が高いことを指摘しており、「マーケット・タイミング仮説」との整合性が見られる。社債発行の動機について分析を行ったものとしては、Houston and James(1996)などがある。彼らは、1980年から1990年にかけての米国企業を対象とし、銀62 ファイナンス 2019 Nov.連載日本経済を 考える

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