2019年11月号 Vol.55 No.8
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前号では、ドナルド・キーン、エドウィン・O・ライシャワー、エズラ・ヴォーゲル、ジェラルド・カーチスらの日本研究者を中心としてペリー来航以来の日米文化交流をご紹介した。1990年代のバブル崩壊後、米国人の日本の経済、政治への関心が薄れる中、日本研究をする人が少なくなっていて、特に、最近の計量分析全盛の米国での政治学の世界では日本を計量分析の比較対象としてアジアの中の国の一つとして見ているだけで、特に日本自身に関心があるというものでもないともいう。従来、日本研究をしていた機関が、中国などを含むアジア研究機関となり、日本研究者がポストを失う例も多いという。そんな中でも最近、日本文化への関心を高めてきた人たち、そして、日本文化への理解・関心のすそ野を広げる目的で開催されている「Japan 2019」についてご紹介したい。かつて、ライシャワーは「日本は、世界の中でもきわだって特色のある、洗練された文化を長年保ってきた国である。」と、また、ドナルド・キーンは「あの戦争で日本は負けたが、日本文化は勝利した」と語ったが、今も、日本の文化への関心は比較的高いように思われる。最近でも、文化の面で米国人の日本への関心を高めることに貢献してきた人たちがいる。⓫「若冲になったアメリカ人」 ― ジョー・プライス(1929年~)(財団心遠館代表)まずは、伝統美術。2016年の生誕300年記念展で44万人以上を動員するなど近年、人気の日本画家、伊藤若冲。1989年から90年にかけてニューヨークとロサンジェルスで「動植綵絵」10編を含む若冲の展覧会が開かれたとき、『ニューヨーク・タイムズ』などの展覧会評では絶賛されているというのに、日本国内では何の報道もされなかったという。ジョー・プライスは、60年前に実業家だった父の関係で、浮世絵のコレクターでもあった建築家のフランク・ロイド・ライトと知り合い、そのお供で出かけたニューヨークの日本美術を扱う店に入る。そこで当時名前も知らなかった伊藤若冲の「葡萄図」の虜になり、「スポーツカーを買うつもりだったお金で購入した」という。長年にわたり江戸期日本美術作品を収集し、コレクションを米国民に紹介するとともに研究に資するため財団心遠館を設立。さらにロサンゼルス・カウンティ美術館 日本館建設に尽力するなど、米国における日本美術研究と日米両国の文化交流に貢献。2007年4月より京都嵯峨芸術大学大学院芸術研究科客員教授に就任。江戸絵画研究を講義。2015年京都府文化賞特別功労賞、2017年水田三喜男記念国際賞受賞。その半生は、2017年3月の日経新聞の「私の履歴書」にも掲載。その収集作品は「プライスコレクション」として知られ、既に1971年秋、上野の国立博物館で、ほとんど半世紀ぶりという大規模な若冲展が開かれたとき、ジョー・プライス氏からの借り出しは、宮中御物の「動植綵絵」三十幅の大連作についで、一個人の蒐集としては最大だったという。40年前にオクラホマのプライス家を訪れた人はそのときの状況について、「プライス家の所領は聞きしに勝る広大さであった。門を入ってからしばらく走ると、ジョー・プライス氏の母堂が住むという古い大きな舘がある。それから大きな池を巡って進むと、フランク・ロイド・ライトの設計で有名なジョーのお兄さんの美しい舘がある。そして最後に、ゆるやかな丘の上にジョーと悦子さん(筆者注:夫人)の「心遠舘」が見えてくる。」、「「心遠館」は、建物全体が三角と菱ペリー来航以来の日米文化交流と「Japan 2019」(下)元国際交流基金 吾郷 俊樹36 ファイナンス 2019 Nov.SPOT

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