ファイナンス 2019年10月号 Vol.55 No.7
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評者小黒 一正荒巻 健二 著日本経済長期低迷の構造30年にわたる苦闘とその教訓東京大学出版会 2019年4月 定価 本体5,400円+税2019年10月に消費税率は10%に引き上げられる予定だが、新たな財政再建の道筋は見えない。日本経済が抱えている大きな問題は3つある。第1は人口減少・少子高齢化の問題、第2は低成長の問題であり、第3は貧困化の問題である。これらは、年金・医療・介護などの社会保障給付費の膨張や、税収や社会保険料収入の減少、高齢者を中心とする生活保護世帯の増加といった形で、財政や社会保障に甚大な影響を及ぼす。財政再建には、歳出削減・増税などが必要だが、痛みを伴う改革を政治的に実行可能とするためには、低成長からの脱却も重要な課題の一つである。中国やインドといった新興国が台頭し、グローバル経済での競争が激化する中、日本経済も「高品質・低価格の競争」から「高付加価値の競争」に転換する必要性を強調する有識者も多いが、現在のところ、低成長からなかなか脱却できずに喘いでいる。このような状況の中、本書では、1980年代のバブル形成から90年代初頭のその崩壊、90年代後半の金融危機そしてデフレの発生といった長期にわたる日本経済の苦闘をとりあげ、そのメカニズムの解明に努めている。具体的には、第1章では「バブルの形成とその背景」、第2章では「バブルの崩壊と長期低迷の開始」、第3章では「金融危機の衝撃と企業行動の変貌」、第4章では「デフレと金融政策」、第5章では「デフレと企業行動のメカニズム」、第6章では「アベノミクスと日本経済の課題」をテーマに分析や考察を行っている。日本経済の停滞を説明する仮説としては、(1)「供給サイド要因説」(生産性上昇率の低下、人口動態など供給側の問題が長期停滞の背景にあるとするもの)、(2)「需要サイド要因説」(財政政策や金融政策の不徹底が長期低迷やデフレをもたらしたとするもの)、(3)「金融セクター要因説」(不良債権問題による貸し渋りが経済低迷を生み出したとするもの)などがあるが、本書では、300ページ超にも及ぶ各仮説の検証や考察の結果として、80年代以降の日本経済の変調の中心には企業行動があり、その本質は企業の低収益資産の蓄積であったことを明らかにしている。すなわち、長期低迷・デフレ期の大半にわたり「日本経済は需要不足ではなく、(持続可能な需要水準と比べた)供給力の過剰に悩んでいた」のであり、「過剰な資産の処理こそが求められていた対応であった」と指摘し、さらに2000年代半ばにそれが解消された後も、長期にわたった低成長の現実がもたらした低成長予想が企業行動を委縮させているとする。では、低成長の主因となった低収益資産の蓄積が進行した理由は何か。経済学は時間・情報・ヒト・モノ・カネ等の有限資源に関する最適な資源配分などを探求する学問だが、経済成長や企業経営という視点で最も重要なものは、生産要素である物的資本や人的資源を含め、何に投資し、何を生産するかという「企業戦略」であろう。非効率なものに投資し、低収益資産を蓄積していては、資本からの収益や賃金が上昇しないのは当然である。これは現在の日本経済にも通じる問題であろう。その意味で、労働市場改革を進め、正規・非正規や年齢・性別などに基づく合理的な根拠のない格差を是正し、人的資源の使い方の変化を促すことが重要だという本書の指摘は正しい。労働市場改革のほか、格差是正のもう一つの原動力になるのは、労働供給の減少である。労働供給の減少が賃金上昇を通じて非効率な企業を淘汰する市場メカニズムも重要であるからだが、それならば、低賃金の外国人労働者の受入れ拡大が非効率な組織の温存に繋がる可能性もあるという視点も重要であろう。なお、本書は日本経済の長期低迷のメカニズムの解明と問題の識別に力点が置かれており、「今後どうすべきかについては余り触れることはできなかった」との記述があるが、同書の「あとがき」に、日本が目指すべき方向性に関する氏の記載があるので、こちらも一読をお薦めしたい。いずれにせよ、本書は氏の大蔵省(現財務省)での長年にわたる行政経験で培った鋭い知見のほか、その後の東大での研究成果の集大成ともいうべきものであり、財政再建や成長戦略といった今後の政策形成に関わる検討や議論で重要な示唆を与えてくれるものと確信する。 ファイナンス 2019 Oct.39ファイナンスライブラリーFINANCE LIBRARYファイナンスライブラリーライブラリー

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