ファイナンス 2019年10月号 Vol.55 No.7
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フルブライト奨学生には、国連事務次長の明石康(国際関係学)、小柴昌俊(ノーベル物理学賞)、下村脩(ノーベル化学賞)、利根川進(ノーベル生理学・医学賞)、根岸英一(ノーベル化学賞)、竹村健一(ジャーナリズム)らもいる他、フルブライト奨学生は、国会議員として、或いは財務省などの省庁でも活躍。8夫人が日本人、日本生まれの学者大使 ― エドウィン・O・ライシャワー(ハーバード大学教授、元駐日大使/日本研究)(1910年‐1990年)ケネディ大統領記念図書館博物館より ©Abbie Rowe. White House Photographs. 1961年6月20日 ホワイトハウス大統領執務室 後列左より、朝海浩一郎駐米大使、ディーン・ラスク国務長官、小坂善太郎外務大臣、エドウィン・ライシャワー駐日大使、ジェームス・ウィッケル通訳官、前列左よりジョン・F・ケネディ大統領と池田勇人総理一般には、ケネディ政権時代、日米両国間の対話の確立を目指し、両国間の相互理解と親善のために尽力した駐日アメリカ大使として知られる。ただ、駐日大使時代は彼と日本とのつながりの一部に過ぎない。父は、明治学院の教師として来日し、新渡戸稲造らと東京女子大学を設立した宣教師であり日本研究家。1910年に東京で生まれ、16歳まで日本で過ごす。東京女子大キャンパス内の大使が住んでいた家は、大使から東京女子大に寄贈され、ライシャワー館という外国人用の迎賓館として利用されているという。伝統的な日本学の専門家で、中国語を習って中国文化圏の国の一つとして日本の歴史、宗教、文化を勉強する第一世代と言われる極めて少数の戦前の日本研究者の一人。セルジュ・エリセーエフの弟子で、日本、特に近代日本の政治、外交史に関する著作は多数にのぼる。欧米の読者を念頭におきつつ、日本の読者をも頭において書いた日本史の本「Japan:The Story of a Nation by Edwin O. Reishaure(邦題「ライシャワーの日本史」)では、その冒頭で「日本は、世界の中でもきわだって特色のある、洗練された文化を長年保ってきた国である。その日本が今日では経済大国に成長し、しかも世界第三位を占めるにいたっている。そして、人類の文明が到達した偉大な進歩のうち、多くの分野で最先端か、もしくはそれに近い位置に立っているのである。…この国がなぜこれほど大きく発展したかは、地理的条件や資源では説明することができない。それは、ひとえに、国民のすばらしさと特異な歴史的経験の賜物なのである。」と紹介している。駐日大使としても日米間の友好親善に尽力。このような多岐にわたる活動を通じて日米間の文化交流のみならず、広く諸外国の対日理解の増進に多大の貢献があったという。日本出身で初の米国歴史学会会長となった入江昭ハーバード大学教授によると、日本生まれの彼が「大正デモクラシーの雰囲気に直接触れたことが日本観の原点を形成するものであった。」という。大学進学のためアメリカに帰るが、日本及び中国の歴史と文化を研究してハーバード大学で修士号を取り、1930年代には、ハーバード・燕京研究所から派遣されて、パリ・東京・京都の各大学などで学ぶ。大学院生として日本古代史研究のため再来日した際、以前とは全く違った日本の政治や社会を見出したという。中国にも詳しく、9世紀の口語と古典中国語の入り混じった難解な僧円仁の「入唐求法巡礼行期」を英訳し、論考も書き、また、中国の歴史や文学についての日本人が書いた論文を読みたい人たちの日本語学習のためにエリセーエフとともに『大学生のための日本語基礎』を書いている。入江昭は、また、「戦時中は学究生活を中断して、国務省や陸軍で、主としてアメリカ軍将校への日本語教育や対日占領政策の立案に専心したが、この間にも日米関係の好ましい在り方についてつねに考えていた。」という。近代日本は根本的にはより民主化され、より国際的な方向に向けて歩んでいたこと、敗戦に34 ファイナンス 2019 Oct.SPOT

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