ファイナンス 2019年10月号 Vol.55 No.7
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4Tale of Genji(源氏物語の名訳)(1925年‐1933年) ― アーサー・ウェリー(1889年‐1966年)「ペリー提督日本遠征記」では、「日本の書物の価値については、はっきりした判断を下すことはできない。日本語の読めるヨーロッパ人やアメリカ人はほとんどおらず、その習得も決して生易しいものではないからである。…遠からずヨーロッパ人やアメリカ人が日本語を完全に習得する日の来ることを期待し、その上で日本文学について語ることとしたい」とされ、当時は日本文学については知られていなかったと分かる。以前、シンガポール人のオーナーに買収されたという東北のあるホテルの図書室で、「Tale of Genji」という源氏物語の英訳と思われる本を見つけたが、それが欧米でも知られた名著だとは知らなかった。アーサー・ウェリーは、その源氏物語の名訳「Tale of Genji」により、ドナルド・キーンを日本文化の世界に導くなど、米国人の日本文化への理解に大きな影響を与えた英国人。日本語や中国語だけでなく、サンスクリット語、モンゴル語、ヨーロッパの主要言語にも通じ、ケンブリッジ大学でドナルド・キーンが初めてアーサー・ウェイリーに会った時、ウェイリーはアイヌ語の叙事詩を講義していたという。ドナルド・キーンも「私が中国語と日本語の研究を始めて以来影響を受け続けていた偉大な翻訳家」と言い、「ウエーリ先生は天才でした。…『日本の古文、古語を読めるようになるには3か月あればいい、3か月で誰にでもできるはずだ。』と書いています。困ったものですね。そんなことができるのは世界広しといえどもウエーリ先生位でしょう(笑)」と語る。1925年から六分冊で刊行された「Tale of Genji」について、「この翻訳が行われた直後の英米マスコミの反応を見てみると、出版されてすぐに『タイムス文芸付録』と『ニューヨークタイムズ・ブック・レビュー』がほぼ1面全部を使ってとりあげ、それぞれ「文学において時として起こる奇跡の一つ」、「疑いもなく最高の文学」と絶賛した。」という。このようにTale of Genjiが高い評価を受けたのは、ウェイリーの名訳によるところも大きく、当時、日本でも、原作の源氏物語よりも面白いといわれ、「ウェイリー著 源氏物語」として、近年、現代語訳されている。ウェイリーが文豪谷崎潤一郎自身から贈られた「細雪」をドナルド・キーンに贈り、それに魅了されたドナルド・キーンが留学先として当時谷崎が住んでいた京都を選び、谷崎作品の英訳の原稿を谷崎に渡すように友人から頼まれて谷崎を訪問したことが、その後の谷崎とドナルド・キーンとの交流のきっかけともなった。5「菊と刀」(1946年) ― ルース・ベネディクト(1887年‐1948年)「第二次大戦中の米国戦時情報局による日本研究を基に執筆され、後の日本人論の源流となった不朽の書」とも言われる「菊と刀」の書名は知っていても実際に読んだ人はどれくらいいるかわからないが、今読んでも、深い。「日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の中で、最も気心の知れない敵であった。…このために太平洋における戦争は、島から島への一連の上陸作戦を決行するだけ、軍隊輸送・設営・補給に関する容易ならぬ問題を解くだけでなく、敵の性情を知ることが主要な問題になった。われわれは、敵の行動に対処するために、敵の行動を理解せねばならなかった。困難は大きかった。…日本人について書かれた記述には、世界のどの国民についてもかつて用いられたことのないほど奇怪至極な「しかしまた」の連発が見られる。まじめな観察者が日本人以外の他の国民について書く時、そしてその国民が類例のないくらい礼儀正しい国民である時、「しかしまた彼らは不遜で尊大である」と付け加えることはめったにない…ところがこれらすべての矛盾が、日本に関する書物の縦糸と横糸になるのである。それらはいずれも真実である。刀も菊もともに一つの絵の部分である。」で始まる本書は、第二次大戦中、1944年に国務省の委嘱を受けた文化人類学者のルース・ベネディクトによる、日本を占領統治する戦争目的のために書かれた作品。「日本人の行動や文化の分析からその背後にある独特な思考や気質を解明、日本人特有の複雑な性格と特徴を鮮やかに ファイナンス 2019 Oct.31ペリー来航以来の日米文化交流と「Japan2019」(上)SPOT

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